11月23日は、明治中期の作家で、近世以降初のプロ女流小説家といわれる樋口一葉(ひぐち・いちよう)の命日である。それにしても、そのジャンルで(主に男性社会といわれるジャンルで)成果を上げている女性に対して使われていた「女流」という言葉を目にしなくなって久しい。
ちなみに、長く女性作家のための権威ある賞であった「女流文学賞」も、「女流」を冠する意味がなくなったとして、2001年より「婦人公論文芸賞」と名前を変えた。
受賞者の名前を挙げれば、第1回の網野菊から始まって、佐多稲子、野上弥生子、円地文子、有吉佐和子、宇野千代、幸田文と、その世界の巨峰がずらり。その後も、宮尾登美子、佐藤愛子、田辺聖子、塩野七生などの名前が続き、近くは山田詠美、高樹のぶ子、川上弘美とくれば、男性、女性をいう意味がなくなったとするのも当然か。
しかし、110年ほど前、こういった「女流」作家のさきがけとなった一葉・樋口奈津のあまりにも短い生涯は、「職業」にしろ「恋愛」にしろ、女性として非常に厳しい局面の連続であった。
1872(明治5)年5月2日、東京の内幸町で生まれた一葉は、少女期を除いて経済的に恵まれず、生涯に12回の引っ越しをするという一家の苦闘の生活を背負ったまま、1896(明治29)年の11月23日、24歳の短い生涯を終えた。
そのうち文業わずか1年余。しかし、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」など、文語調のニュアンスを残す、情緒に満ちた作品は、今も多くのファンを持つ。
一葉に明治の文豪、という称号は似合わないが、文豪森鴎外、露伴も絶賛したその作品群は、近代文学史に燦然(さんぜん)と輝いている。
2004(平成16)年11月、一葉の肖像を使用した新5000円札が発行された。女性の肖像が入った紙幣は、明治期発行の神功皇后以来とのこと。しかし、神功皇后は記紀伝承の中の人なので、実際、顔など分かるはずもない。したがって、本人の肖像が使われた紙幣という意味では一葉が第1号だが、生涯を生活苦に悩んだ彼女にとっては皮肉ともいえる。