「ダイキュウ」ではなく、あくまで「ダイク」という。楽聖ベートーベンの生涯最後の交響曲作品となった「交響曲第9番ニ短調 作品125 合唱付き」は、日本ではそのように呼ばれて親しまれている。
とりわけ年末に演奏されることが多く、その傾向は1960年代から顕著になった。そして80年代以降は「年末恒例のイベント」といっていいほどに定着。その代表的なものとして、大阪の「サントリー1万人の第九」や広島の「第九ひろしま」などがあるが、前者が83年、後者が85年にスタートと、ともに80年代に誕生した巨大スケールのコンサートである。
東京における数千人参加の大規模「第九」イベント、「国技館5000人の第九コンサート」も85年誕生だが、こちらは2月の公演が多い。
それにしても、世界的名曲である「第九」が、なぜ日本だけ、突出して年末に演奏されることが多いのか。それは、この曲から伝わってくる希望と喜びのコンセプトが、1年を締めくくり、新年を迎える時期の気分にぴったりだ、つまり季節の節目、区切りを大事にする日本人の感性に合ったのだ、という説がある。
一方、現実的な話では、戦後困窮していた音楽家たちが、年越し資金を稼ぐために、人気曲の「第九」を年末に盛んに演奏したからだ、という説もある。
ただ、いずれにせよ、第4楽章「歓喜の歌」の合唱が「第九」人気に大いに貢献していることは間違いない。それは、合唱をやっている人たちにとって憧(あこが)れの曲であり、年に1度の晴れ舞台を年末に催す市民参加型の演奏会には、もってこいなのだ。
日本初演は、1918年。2006年に公開された松平健主演の映画「バルトの楽園(がくえん)」に描かれたように、第一次世界大戦中、徳島の捕虜収容所で捕虜のドイツ兵たちが演奏した。
「第九」そのものの初演は1824年。指揮したベートーベンにすでに聴力はなく、舞台上の歌手が彼を振り向かせて初めて、聴衆の熱狂的な拍手と公演の大成功を知ったという。