12月17日から19日の東京・浅草の浅草寺(せんそうじ)。境内は師走の風物詩「羽子板市」でにぎわう。そのにぎわいに、ひときわ華やぎを加えているのが、浅草の芸者衆。浅草の観光アピールに一役買ったのだろうが、まるで押絵羽子板から抜け出したような艶やかさで、カメラマンの格好の被写体になっている。
この羽子板市で売られている押絵羽子板は、江戸時代後期の、文化・文政のころ(1804~30年)に始まったもので、主に美人や歌舞伎の人気役者が押絵の画題とされた。
押絵とは、人物や花鳥を厚紙でかたどって美しい布でくるみ、その中に綿を詰め、画題に即して凹凸をつけて造形したうえで、板に張り付けたもの。そうして、羽子板に押絵を張り付けたものが押絵羽子板になった。したがって、それは実際に羽根をつくというより、装飾に適したものといえるだろう。
正月遊戯の羽根つきは、室町時代初期の記録にも見える。もともと羽をつけたムクロジの実をトンボに見立て、トンボが蚊を食うところから、子どもを蚊から守り厄除(やくよ)けとする、というまじない。京都の上流社会では、習わしとして正月贈答に羽子板と羽根を使っていたが、それが江戸時代に全国に伝わった。とくに女児の成長を願っての贈り物とされ、贈られたほうはそれを座敷に飾ったという。
羽子板は明治中期から、浅草寺の「歳の市」つまり、正月用意のための市での主要商品となって売り買いされてきた。そして、戦後の昭和25(1950)年ころには、歳の市はもっぱら羽子板を売る市となり、一般に「羽子板市」と呼ばれるようになったのである。ただ、浅草観光連盟などは、「歳の市(納めの観音)羽子板市」といっている。そういえば、市の主催は「東京歳の市羽子板商組合」であった。