12月の下旬、その年の大詰めになってくると「餅つき」が行われる。かつて自宅で餅つきをするのが普通であったころは、25日から28日までの間につきあげられることが多かった。なぜならば、大みそか前日の餅は「一夜餅」といって忌(い)むものとされ、29日は「苦餅」といってその日につくことを避ける風習があった。したがって、餅は28日までにつこう、ということになったわけである。
もちろん、この餅は「年の餅」、つまり正月用の餅である。「餅」は、中国、韓国、日本などの東アジア、および東南アジアではおなじみの食品で、古くは小麦素材の食品であった。中国の「月餅」などもその流れの一つ。ただ、日本では米素材の食品として発達し、日本文化の中で「ハレの日」には欠かせないものとなった。その「ハレの日」の代表格が正月なのである。
しかし、いまや餅つき用の臼(うす)や杵(きね)を持つ家はほとんどなく、餅は専門店に頼んでついてもらうもの、ということになってしまった。ただ、年末の雰囲気を盛り上げるにぎやかさもあり、商店街や幼稚園のイベントとしての「餅つき大会」は人気のようである。このごろでは、臼、杵、蒸気釜、せいろ用具一式から調味料、赤じゅうたんまでそろえてケータリングする「出張餅つき代行」業もあるようだ。
行事として知られているのは、12月21日の日光山輪王寺(りんのうじ)の三仏堂(さんぶつどう)の境内で行われる「御供加持(ごくうかじ)」。この餅つきの起源は、奈良時代にまでさかのぼるという歴史的な行事。もともと日光の山での修行に向かう修験者たちによる安全祈願行事であり、その餅は彼らの携行食品となったという。現在でも、12月21日の朝、修験者、つまり山伏姿の僧たちが、杵を振って餅をつきあげる。
世界遺産日光の歴史を感じさせてくれる、歳末恒例の餅つき行事である。