そばは「時そば」などの落語にも登場するように、庶民の好む食品として長く日本人に愛されてきた。古名は「そばむぎ」。東アジア原産といわれる1年生の作物で、中国から朝鮮半島を経て日本にもたらされた。
代表的な辞書類を見ると「そば(蕎麦)」の項目の近隣に「そば(岨)」「そば(稜)」「そば(傍、側)」という項目が目に入る。実は、これらの言葉はすべて関連しているのである。
このことの理解には、やはり植物としてのそば(蕎麦)の説明が必要だ。
そばは収穫までの期間も短くてすみ、山奥のやせた土地、荒地でもよく育つ。普通の畑などとてもできないような場所、たとえば谷間の急傾斜地でも栽培可能なありがたい食材で、そういう谷間の傾斜地を「そば(岨)」という。そして、実の形は三角錘、葉も三角。つまり角は「稜」といい「そば(稜)」なのである。また、角という部分は、われわれにとって最も身近なところ。近いところ、つまり「そば(傍、側)」なのである。これを踏まえると「そばのそば屋のそばのそば」といえば「切り立った斜面にある蕎麦屋の角の近く」という意味にもなるわけだ。
さて、年越しそば。江戸時代、商家では忙しい月末の食事を「そば切り」にする習慣があって、それが年末だけに残って「年越しそば」になったといわれる。ちなみに、「そば切り」はめん類としての「そば」の本来の名前。そばがき、そばまんじゅうなどと区別していう。まさに、そばを切ったもの。
また、同じく江戸時代には、金銀細工の職人たちは大みそかの夜、1年最後の仕事として、職場の筵(むしろ)の上に散らばった金銀の微粒粉を、そば団子にくっつけて集めたという。そこから、そばは金銀を集めるという「縁起」が生まれ、商家の人たちが大みそかに売掛金を集めて回る前にそばを食べた。それが「年越しそば」の風習の元という説もある。
いずれにせよ、そばは江戸時代以降、そばがきやそば団子から現在のようなめん状の食品として広まり、庶民の日常食として定着した。そして「細く長く」という縁起物となって、1年の最後の夜に、長寿や商売の長続きを願って食べられたのである。ただし、あくまで「年越しそば」なので、旧年中に食べ終えるべし。そうしないと新年早々から金欠病になるという話もあるぞ。