大みそかの夜、NHKの「紅白歌合戦」が終わろうとするころから、近隣の寺の「除夜」の鐘が聞こえ始める。近くに寺がない地域でも、「紅白」の後番組の「行く年来る年」の各地中継の画面からゴーン、ゴーンと鐘の音が聞こえてくる。これが、テレビが普及した昭和30年代以降、長く続いてきた平均的な日本の家庭の年越しの風景だった。
「除夜」の「除」は、文字どおり「除く」、あるいは「押しのける」ということ。古い年を除き、新しい年を迎える夜、それが「除夜」なのである。また、「夜を除く」と解釈するならば、「夜どおし起きて」いて、そのまま元日の朝を迎える、と考えてもよい。
除夜の鐘は、ご存じのように108回撞(つ)く。仏教では「人間に百八の煩悩あり」としており、それを除いて清らかな心で新年を迎えようというのが、この百八つの除夜の鐘なのである。
ただ、煩悩の百八という数については、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)の好・悪・平(気持ちが良い、悪い、普通)をベースにした煩悩の数え方、あるいは十纏(じってん)と九十八結(くじゅうはっけつ)という煩悩の数を足したものなど、諸説ある。
ほかに、最もシンプルな数え方としては、1年の「12」カ月、「24」節気、「72」候の数字を足したものとか、ちょっとこじつけっぽいものに、人間の苦しみは「四苦八苦」、つまり4×9に8×9を足した数が108だ、という説もある。
旧年に百七つ、新年になって百八つめが撞かれる除夜の鐘。その長く響く音を聞きながら、高浜虚子の名句「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」の伝える感覚を、しみじみ深く味わいたい。