門松の「門」は、文字通り、その家の入り口。そこに松を立てて飾り、歳神(としがみ)の依代(よりしろ)とする。
依代とは、そこに神が降りてきて宿る有形物、つまり木や岩石、あるいは人形といったものをいうが、これが、お正月の場合は「門松」になるわけだ。それぞれの家の門口に「門松」を飾り、その年の神様をお招きするための目印とする。ただ、基本的には依代なので、門に限らず庭先に立てる家もある。
また、依代とする木は松だけでなく、椎(しい)、杉、椿(つばき)、榊(さかき)なども、地方によっては使われてきた。これらの木はすべて常緑樹だが、次第に松がそれらの代表的なものとして依代に使われるようになった。そうして、「門松」の言葉が定着したのである。
この正月用の松は、昔は事始(ことはじめ)の旧暦12月13日や年の暮れに、家ごとに山から松の枝を採ってきた。このことを「松迎」(まつむかえ)という。
門松の飾りつけは、12月の下旬になって、20日ごろから立てるところもあるが、一般には28日までか、30日に立てる。なぜかといえば、29日は「二重苦」とか「九松=苦待つ」の語呂合わせで嫌われ、31日に立てるのは「一夜飾り」といって、神様をおろそかにする行為として避けられたからである。
門松の代表的なスタイルは、若松に先端を斜めに切った(「そぎ」という)3本の竹を合わせたもの。「松は千年を契り、竹は万年を契る」といわれるおめでたい飾りで、家に幸をもたらす歳神様の依代の永遠を願った。
門松や注連(しめ)飾りなどの正月飾りは、現在は、1月7日の「七日正月」(なぬかしょうがつ)には、取り払うのが普通。門松がある元旦から7日までを歳神様が家にいる期間とし、「松の内」という。ただし、地方によっては15日の「小正月」までを「松の内」とするところもある。
神の依代である門松だが、禅の高僧、名僧といわれる一休の作といわれている狂歌では「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」となる。一休の最期の言葉が「まだ死にたくない」というのもおかしい。87歳、室町期としては、めでたいくらいの高齢での往生だろうけれど。