日本語の世界には「忌み言葉」というジャンルがある。たとえば、「切る」「去る」「割る」「帰る」は結婚式で厳禁というのは、忌み言葉の用例として、よく知られるところ。また「するめ」を「あたりめ」、「すり鉢」を「あたり鉢」と言い換えたり、「梨」を「ありの実」といったりするのも、典型的な忌み言葉である。そして、たとえば「するめ」も、言い換えた「あたりめ」のほうも、どちらも「忌み言葉」という言い方をされる。
同じように「鏡割り」と「鏡開き」の関係も、忌み言葉として位置付けられる。やはり、おめでたい正月の風習としては、鏡「割り」は忌み嫌われたわけだ。
では、「鏡開き」の「鏡」とは何か。もちろんこれは正月用の「鏡餅」のことだが、もともと鏡のように丸く平たくして重ねた餅の意味。したがって、古くは「餅鏡」といったそうだ。
鏡餅は、正月に歳神様にお供えする「お供え餅」である。そして、「鏡」の丸さは円満を、「開く」は末広がりの縁起のよさを表してめでたい。ただ、この「開く」に言い換える前の「割る」にも、さらに原型がある。それは「切る」である。
鏡開きの風習は、室町時代の武家に始まり、その後に一般化したもの。正月に甲冑(かっちゅう)に供えた「具足餅(鏡餅)」を、20日に切り分けて祝賀とした。「二十日(はつか)」としたのは「刃柄(はつか)」に通じるところから、というのも、武家発祥らしいところである。
ただ、武家にとって「切る」は切腹などの連想があり、そこから鏡餅を「切る」という表現と行為は敬遠されて「割る」となり、鏡餅は手や木槌(きづち)で割るようになった。
この1月20日の鏡割りの風習が、徳川三代将軍家光の命日が20日となったころから、1月11日に行われるように変わっていった。将軍家に遠慮したものだろう。しかし、従来通り1月20日に行う地域もあるし、京都のように武家の風習と縁遠い地域では、1月4日という独自の日取りで行われてきた。
現代では、柔道の講道館で1月第2日曜日に行われる鏡開き(鏡開式)が有名である。