やぐら太鼓が隅田の川に―名曲「男の土俵」の冒頭の文句が、ふと口をついて出てくる大相撲初場所。1年6場所の中で最も華やぎがあり、歌舞伎の「初芝居」とともに、東京の正月気分を大いに盛り上げてくれる。その雰囲気の大もとは、相撲のルーツにかかわる神事性と、江戸期以来の伝統芸能的なニュアンス。このあたりが、他のスポーツイベントと異なる部分で、大相撲が長く愛されてきたゆえんである。
相撲は、「古事記」にある武甕槌命(たけみかずちのみこと)と建御名方神(たけみなかたのかみ)の「国譲り」の争いの力競べ、「日本書紀」の野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の力競べなどがルーツとされる日本古来の格闘技だが、平安時代からは「相撲節会(すまいのせちえ)」と呼ばれる宮中行事の一つにもなった。江戸時代には谷風、雷電、稲妻などの人気力士を輩出して発展。興行として成立するとともに、大名などの後援を得て、華やかな存在となっていった。
明治以降も、「梅常陸(うめひたち)」といわれ人気を二分した梅ヶ谷、常陸山の両横綱を中心に人気を維持。明治42(1909)年、東京の両国に常設館の「国技館」ができてからは、相撲は日本の国技と呼ばれるようになった。
この両国国技館は、昭和20(45)年3月10日の東京大空襲で焼失。戦後の蔵前国技館の時代を経て、現在の新両国国技館が開館したのが昭和60(85)年の初場所であった。
東京での大相撲の興行は、1月の初場所と5月の夏場所、9月の秋場所の年3回。平成20(2008)年の初場所は、4年ぶりに東西に横綱がそろった。東に白鵬、西に朝青龍。戦前の双葉山、戦後の栃若、柏鵬、輪湖、そして近年の若貴と、人気の横綱が支えてきた土俵に、モンゴル出身の両横綱が上がる。
力士のスタイルは、素裸に締め込み(まわし)、頭には髷(まげ)。千年変わらぬスタイルである。こういう日本古来の格好をしているのは今や力士のみ。これだけでも価値がある、という識者もいるし、もう国技という言い方にこだわらなくてもいいのではないか、という向きもある。
ちなみに、髷が結えなくなれば、いくら若くて強くても、引退ということになる。そういう意味で初場所は、ぜひ白露山に注目してみて。