真冬の人気メニュー「鍋料理」のなかでも、「ふぐ鍋」は屈指の美味。高価というイメージはあるものの、季節のなかで一度は食べておきたい。ちなみに山口県や九州では濁らず「ふく」というが、日本各地の貝塚からふぐの骨が大量に出土しているように、この魚は古くから日本人にはおなじみの食材であった。そして、「ふぐは食いたし命は惜しし」「ふぐ食う馬鹿、ふぐ食わぬ馬鹿」といった慣用句があるほど、その危険性と裏腹の美味は、冬の料理のなかでも珍重されてきた。
命にかかわる危険性の元は、ふぐの内臓にあるテトロドトキシンという毒素。青酸カリの約300~400倍の猛毒といわれている。もちろん、きちんと調理すれば、なんら問題はない。ただ、ふぐ鍋を「てっちり」といったりするところに、ふぐという素材に対する人間の複雑な思いが表れていて面白い。
では、この「てっちり」という暗号のような料理名は何か。これは「てつちり鍋」の略。「鯛(たい)ちり」とか「鱈(たら)ちり」とかと同様である。すると、「てつ」は鯛や鱈と同じく、魚の素材を指すことになる。つまり、この「てつ」は「鉄」で、「鉄砲」の略。ならば「鉄砲」は素材の何を指しているのか。それは「当たると死ぬぞ」ということ。こうして「てつ」はふぐの隠語となった。関西でいうところのふぐの刺身「てっさ」も、これと同じ用語法で、「てつ」の「さしみ」の略である。
当たると死ぬ。死ぬのは怖いが、それでも食べたい。リスクか美味か。その微妙な心理が「てつ」という、ちょっと突き放した感じの隠語にこめられている。人間とは、馬鹿だか利口だかわからない。「ふぐにも当たれば鯛にも当たる」、つまりダメなときは何をやってもダメ、ということわざなど、もう悟りの境地である。
「てっちり」については、「ちり」のほうにも触れておこう。これは魚介や豆腐、野菜などの具を水炊きして、ポン酢で食べる鍋料理を指す。ここでは「ポン酢」がキーワード。なぜカタカナまじりの酢なのか。それは元の「ポンス」がオランダ語だから。「pons」は、柑橘類を絞った汁のことである。