「子育ての月日の針を祀(まつ)りけり 轡田(くつわだ)進」
針供養は、かつてはどの家庭でも行われていたが、現在は和裁や洋裁の専門学校関係者の行事となっている。この日は針仕事を休み、折れて使えなくなった針、古くなった針を、豆腐やこんにゃくなど軟らかいものに刺し、川や海に流して供養をする。あるいは紙に包んで神社に納めたりする。
実はこの「針供養」、同じ呼称、同じような内容でありながら、関東では2月8日、関西では12月8日という別日程で行われてきた。したがって、季語という「季節に対する共有感覚」を創作の基礎とする俳句の世界では、「針供養」という同じ季語でありながら、一方は春の季語であり、もう一方は冬の季語という、不思議な事態が起きることになった。ちなみに冒頭に掲出した一句は、春の針供養で詠(よ)まれたものである。
針供養は、日ごろ大活躍してくれた針、くたびれた針、折れた針を軟らかいものに刺して最後の仕事をねぎらい、供養するという、実に女性らしい優しい気持ちを感じさせてくれる行事。また、そうした針仕事、裁縫をはじめとする女性の仕事、あるいは技芸すべての上達を願う行事として位置づけられてきた。このことから、「仕事始め」についての地域文化の違いによって、針供養の日取りの違いが出たものと思われる。
もともと「御事始(おことはじめ)」という言葉があり、正月準備を始める日として12月8日に行われていたが、東国では同じこの言葉でそれを農事始めの日とし、2月8日に行っていた。関東、関西の針供養の日の違いも、これによるものだろう。ただ、関東の2月8日も関西の12月8日も、ともにこの日は針仕事から解放された女性の休養日であったことには違いない。
「祇園うら年増ばかりの針供養」
上方落語の人間国宝、桂米朝のこの一句は、もちろん12月8日のほう、関西の針供養を詠んだものである。