1945年、というよりも昭和20年というほうがふさわしいかもしれない。昭和20年3月10日午前零時過ぎから、東京は「空飛ぶ要塞」と呼ばれたB29の大編隊による空襲を受けた。市街地に向けた無差別爆撃。10万人を超える死者を出した。
第二次世界大戦のなかで「太平洋戦争」と位置づけられる、日本と米英を中心とした「連合国」との戦争の、最後の半年に起きた大きな「悲劇」の一つである。
アジア太平洋地域、東南アジア、西アジア、北アフリカ、そしてヨーロッパ全域を戦火に包んだ第二次世界大戦も最終局面。日本、ドイツ、イタリアの「枢軸国」と、アメリカ、イギリス、フランスを中心とした「連合国」との対立という構図で推移したこの大戦も、1943年9月にはイタリアが降伏、45年に入ってヒトラーのナチス・ドイツも敗色濃厚であった。
ヨーロッパ戦線より先に、日本は「日中戦争」という中国大陸での戦争を始めていたが、展望が開けないまま41年(昭和16)にアメリカ、イギリスなどとの「太平洋戦争」に突入。45年3月の段階で、日本はすでにグアム、フィリピンなどの根拠地をアメリカ軍に奪われていた。このことは、日本本土がアメリカ軍の長距離爆撃機B29の爆撃可能圏内に入ったことを意味していたのである。
前年より鉄鋼業、航空機工場などを重点爆撃していた米軍機は、45年に入り、東京、大阪、名古屋、川崎など主要都市のじゅうたん爆撃に移った。その最大規模のものが「東京大空襲」。日本の民家を焼き払うために開発された焼夷弾(しょういだん)によって、猛火のなかで10万人以上の人々が一夜にして命を落とした。
その後、3月13、14日の大阪大空襲、17日の硫黄島玉砕、4月1日の米軍沖縄上陸、そして8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下、15日の敗戦へと日本の歴史の時間は進んでいく。