お彼岸は、仏教の年中行事のなかでも、お盆と並ぶ代表的なもの。ご存じのように、春と秋の2回ある。
春のお彼岸は、春分の日(3月21日ごろ)を中日(ちゅうにち)とする1週間。秋のお彼岸は、秋分の日(9月23日ごろ)を中日とする1週間。俳句の歳時記では、「彼岸」といえば春のお彼岸を指し、秋のお彼岸はわざわざ「秋彼岸」とか「後の彼岸」という。これは、1年のめぐり、四季の順番で春が先に来るのだから仕方のないところ。
日本独特の祖先崇拝の習俗と仏教の行事である「彼岸会」が結びついた行事とされ、始まったのは聖徳太子のころともいわれている。だとすれば、仏教を日本の為政者で最初に取り入れたのは聖徳太子なのだから、お彼岸は日本の仏教の歴史とともにあるといってもよい。いずれにせよ、この行事は、江戸時代には広く人々の間に定着していたようだ。
彼岸は、仏教においては「悟りの世界」。したがって、お墓参りや先祖供養の法要をして、今この世に自分や家族が存在することを感謝し、かつ自分自身も悟りを開けるよう祈念する、というふうに位置づけていればいいのではないだろうか。
お彼岸の先祖供養のお供えのなかで、最もよく知られているのが「ぼたもち」あるいは「おはぎ」。これがどう違うかといえば、大きいのが「ぼたもち」で小さいのが「おはぎ」とか、こしあんが「ぼたもち」で、つぶあんが「おはぎ」だとか、もち米が多いのが「ぼたもち」だとか、はては地方によって呼び方が違うだけだ、という人もいる。
しかし、本当は春のお彼岸、つまり牡丹の季節にお供えするのが「牡丹もち」、秋のお彼岸、つまり萩の季節にお供えするのが「萩のもち」だったのである。
ただ、こういう季節感も、年中食べられるような時代になれば失われてしまう。現在では「ぼたもち」でも「おはぎ」でも、どちらでもいいようだ。