3月の最終日曜日、神奈川県の大磯町にある「鴫立庵(しぎたつあん)」で、「西行祭」と称する法要が行われる。西行法師は平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した歌人。「願はくは花の下(もと)にて春死なむ そのきさらぎの望月(もちづき)のころ」の一首が多くの人に知られているが、またこの歌に詠(よ)まれた状況のなかで本当に死去したというエピソードも周知のところである。こちらは「西行忌」で、陰暦2月15日。
全国行脚(あんぎゃ)をした西行は、各地で名歌を残しており、大磯海岸では「心なき身にもあはれはしられけり 鴫立沢の秋の夕暮」の一首を詠んだ。大磯の「西行祭」は、このことにちなむものであり、鴫立庵は歌に詠まれた鴫立沢に建っている。
日本文学史上、最高の詩人の一人といわれる西行は、その旅を重ねた生き方を含め、後世の文人に多大な影響を与えた。俳聖といわれる松尾芭蕉もその一人で、芭蕉晩年の「旅に生き、旅に死ぬ」人生は、あこがれの西行のあとを追ったものである。このこともあり、大磯の鴫立庵は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳句道場の一つとされ、「西行祭」も、俳句の興隆を目的とする。
西行は、もともと佐藤義清(のりきよ)という、鳥羽上皇の北面(ほくめん)の武士(エリート護衛武士)であったが、世の無常を感じて出家。旅の歌僧として生涯を送った。その姿が偶像化されて各地に西行伝説を生み、また能の「西行桜」、舞踊の「時雨西行」、あるいは画題の「富士見西行」といった形で、様々な技芸のテーマにもなっていったのである。