「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」
これは、ほとんどの日本人が知っている清少納言(せいしょうなごん)の「枕草子」の冒頭部分である。
清少納言は「源氏物語」の紫式部と並び称される才女で、平安時代中期、一条天皇の皇后定子に正暦4年(993)から仕えたとされる女官。和漢の学に通じた彼女が日本文芸史上に燦然(さんぜん)と輝くこの名エッセーをこう書き出したことによって、「曙(あけぼの)」は、単なる夜明けの時間帯を指す言葉から春の季節感を代表する言葉へと飛翔した。
曙そのものの意味は、夜が明けていく状況の中で、東の空が明るんできた時のことを指す。夜がほのぼのと明け始めるころのことで、「朝ぼらけ」ともいう。つまり、「曙」は一年中使える言葉なのである。しかし、そういう言葉の中から、日本人は季節の情緒、美意識、感覚をよく伝えるものをピックアップし、大切につちかってきた。曙も、その一つである。
清少納言が生きた平安時代には、夜の明けていく様子を、時間の経過とともに細かく呼び分けた。すなわち、あかつき、しののめ、あけぼの。この順で空は明るくなっていく。
「暁(あかつき)」は夜中の続き。明けようとしながら、まだ暗い状況だ。「東雲(しののめ)」は、夜明けの薄明かり。東の空がわずかに明るくなるころのことである。そうして、夜明けの空は明るんでいき、「曙」となる。
淡紅に黄みを帯びた色を「曙色」という。その感じは、現代においても、まさに暗い冬を脱した春という季節にぴったりである。