「端午(たんご)の節句」は、1年に5回ある「五節句」の一つ。五節句は5月5日の端午の節句のほかに、正月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、7月7日の七夕(しちせき=たなばた)、9月9日の重陽(ちょうよう)の各節句がある。
「端午」の「端」は、物事の最初。端緒の端。端っこ、先端の端。あるいは、「はな」とも読んで、「はなっから」などといい、初めから、一からの意味で使われる。ハングルで「一つ」を「ハナ」というが、関係があるのだろうか。また、先端、という意味で「鼻」も「端」から生まれた言葉である。
「端午」の「午」は、「ウマ」。したがって、端午は最初のウマ、つまり月の最初のウマの日、という意味になる。これがのちに、「午」と「五」の音が同じであるところから「五月五日」をいうこととなった。「重五(ちょうご)の節句」「端陽(たんよう)の節句」「あやめの節句」ともいう。
「あやめ」は菖蒲(しょうぶ)であるが、この日には昔から菖蒲を軒につるしたり、菖蒲湯に入って邪気を払う風習があった。季節の変わり目に、疫病などにかからぬようにと願ったのだろう。
そして菖蒲が「尚武」、つまり武事を重んじることに通じるというわけで、この節句祝いは近世以降、武士の間で広まった。そうして端午の節句は特に男児の節句として、3月3日の女児の成長を祝う雛祭(ひなまつり 上巳の節句、桃の節句)と対の行事となったのである。
男児のいる武家では甲冑(かっちゅう)や武者人形を飾り、庭に戦陣の幟(のぼり)を立てて、その子の健やかな成長を祝い、願った。ただ、町人には幟などは許されない。そこで「俺たちはこれで」とばかりに鯉の吹き流しを揚げ始めた。これが江戸中期に普及して、今日に至るという。
この「鯉幟(こいのぼり)」は、中国の故事である「登竜門(鯉の滝登り=立身出世の意)」にちなんだものである。
現在でも、ギネス世界記録に認定された群馬県館林市の5283匹の鯉幟とか、日本一という埼玉県加須(かぞ)市の体長100mの鯉幟など、鯉の元気さにちなむ催事は多い。加須市は鯉幟生産日本一で、それは「武州出世鯉のぼり」と呼ばれている。