「長良川の鵜飼(うかい)」は毎年5月11日から始まるが、日本三大○○という、おなじみの言い方の中で、「日本三大鵜飼」というカテゴリーがある。さて、鵜飼で「三大」とうたうほどのことなのか、と思う向きもあるかもしれないが、これがかなり古い歴史を持つ漁法だけに、全国各地のある程度の規模の河川で行われている。その中での三大鵜飼は、「岐阜の長良川」と「愛知県犬山の木曽川」、そして「愛媛県大洲の肱川」だといわれている。
しかし、例によって、この三大○○というのは、根拠、前提がはっきりしないところもあり、だいたい一つ目、二つ目までは誰もがそうだと納得するのだが、三つ目については意見が分かれることが多い。たとえばこの三大鵜飼についても、三つ目には山口県岩国の鏡川や大分県日田の三隈川(みくまがわ)、京都府宇治の宇治川なども挙げられる。
しかし、ただ単に鵜飼といえば、やはり文句なしに長良川。真っ先に頭に浮かぶ「鵜飼の川」であり、代表的な日本の夏の夜の風物詩。1300年以上の長い歴史を誇るという。
鵜飼という川魚漁は、中国の南部と西部および日本に伝わる独特の漁法。鷹を使う鷹狩りとともに「鵜鷹逍遙(うたかしょうよう)」という一種のスポーツとして古代から豪族の間で行われ、長く朝廷や大名の保護も受けてきた。実は、長良川の鵜を操る「鵜匠(うじょう)」は今も宮内庁式部職であり、宮内庁の御用も務める。
鵜舟にかがり火を備え、集まってきた鮎(あゆ)を鵜が捕らえる。10~12羽の鵜を鵜匠が自在に操る長良川の漁はすでに芸術の域だが、鵜そのものはもともと野生の海鵜(うみう)。これを飼いならして2、3年の訓練をする。そうしてやっと漁のできる鵜になるとのこと。
とはいえ、自分が捕らえた獲物を吐き出さねばならぬ鵜には何とも気の毒な漁法である。その昔、長良川の鵜匠を保護した織田信長、好物としてここの鮎を献上させた徳川家康。彼ら権力者は、この漁をどう見ていたのだろうか。俳聖松尾芭蕉は、次の一句を残しているけれど。
「おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな」