「祇園祭」「時代祭」と並ぶ京都三大祭の一つ、5月15日の「葵祭」は、町衆が中心となった「祇園祭」に対して朝廷・貴族の祭り。下鴨神社(賀茂御祖神社〔かもみおやじんじゃ〕)と上賀茂神社(賀茂別雷神社〔かもわけいかづちじんじゃ〕)、両神社の例祭である。
祭りの起源は古く、6世紀後半の欽明天皇のころのこと。荒天、凶作の原因が賀茂の神々の怒りであるとされ、それを鎮めるために競馬(くらべうま、走馬〔そうめ〕)をしたところ、五穀豊穣となったという。平安前期には、この賀茂祭は朝廷がかかわる国家的な行事となり、平安貴族の間で「祭」といえばほかでもない、この例祭を指すほどになった。「源氏物語」や「枕草子」に「祭」と記されているのは、この祭りのことである。
賀茂祭は、社殿の御簾(みす)から行列の御所車、牛車、かかわるすべての人々の冠衣に至るまで、二葉葵の葉で飾る。このことから、一般には「葵祭」と呼ばれるようになった。応仁の乱から江戸元禄期までの中断などがありながら、1400年の時を経て、王朝の雅を伝える貴重な祭礼として、現在も重要視されている。
5月15日(雨天順延)の午前10時30分。平安貴族そのままの、王朝絵巻の優雅な列が京都御所を出発。下鴨神社を経て、上賀茂神社へと向かう。
この賀茂(加茂)社の神草が葵である。葵祭の折、冠衣や牛車などを葵で飾るのはもちろん、祭器に神紋として用い、神官は家紋として使用する。それが氏子や信者にも広がった。
水戸黄門の印籠(いんろう)でおなじみの葵の御紋。徳川家の権威のシンボル「三葉葵」の紋。この徳川家=葵紋については諸説あるが、一説に徳川家のルーツ松平家の3代目信光が自らを「加茂朝臣」と称し、加茂一族として葵紋を使っていたからという。ただ、この神紋となっているのは「二葉葵」。これが徳川家の三葉葵になったのは、単に紋としてのデザイン上の問題だったのだろうか。
現在、一般的に葵といったり、夏の季語のイメージとしているのは、基本的に「二葉葵」とは別科の「立葵」である。
余談ながら、地名では家康ゆかりの静岡市に葵区が誕生した。2005年のこと。また、08の年のNHK大河ドラマは、薩摩藩から幕末の徳川将軍家に嫁ぎ、大奥を仕切った天璋院「篤姫」。しかも主演女優は、なんと宮崎「あおい」である。