「貧乏人は麦を食え」。
日本の政治家の「暴言」の歴史の中でも、これはたぶんベストテンをはずさないだろう。吉田茂首相の例の国会答弁での「バカヤロー」のようなエキセントリックさ、切れ具合からではなく、そのあまりの具体性ゆえに、である。
これは、のちに名宰相と呼ばれ、経済成長政策を推し進めた池田勇人の通産大臣時代の「大失言」。昭和25年(1950)12月のことである。
ただ、これは文字通りこう言ったわけではなく、マスコミのつくりだした表現だったが、ある意味正直な発言で、時代は第二次世界大戦後の食糧難。米とともに「日本人の食」を支えてきた麦は、その昭和25年に作付け面積約180万haというピークを迎えていた。事実、「貧乏人」が腹を満たそうとすれば、麦飯が一番、という時代だったのだろう。
その後、首相となった池田は「所得倍増!」「私はうそは申しません!」と連呼して、日本を高度経済成長に導いた。そうして日本が世界有数の経済大国になるにしたがって「貧乏人」も減り、麦畑も減っていった。そして、昭和48年(1973)、日本の経済成長は一つの極点を迎えた。ある意味「貧乏人のヒーロー」であった田中角栄の「日本列島改造論」による土地、建設ブーム。日本国中がブルドーザーで掘り起こされている、といった感があった。この年、麦の作付面積は池田発言のあった昭和25年の10分の1弱になっていた。
「麦秋」は、麦が熟する初夏のころ、つまり5月下旬のことをいう。「秋」は、穀物の収穫期の意である。二十四節気では「小満」にあたり、その初候、次候に続く末候が「麦秋至(むぎのときいたる)」になる。
しかし、日本では麦の自給率の低下に伴って、この「麦秋」も死語化しつつあるのが現状。聞こえてくるのは熟年カラオケファンが歌う人気デュエット曲の「麦畑」ばかりだ。
農業大国フランスでは、麦は男性名詞で、小麦粉は女性名詞。今も、麦が水車小屋から粉になって帰ってくるときには、「彼が彼女になって帰ってくる」というジョークが生きているらしい。