現在、制服を使っている学校や会社、役所などでは、6月1日をめどに夏服に替わる。「更衣(ころもがえ)」である。
この「更衣」については、漢字表記と読み方のズレについて説明しておこう。まずは、歴史的背景から。
平安時代の宮廷では、中国から伝わったものの一つとして、旧暦の4月1日と10月1日に衣装替えを行う行事があった。ただ、年に2回ということでおわかりのように、夏服と冬服を替えるという、実にシンプルな服の入れ替え。現在のように、季節に応じて細かく着るものを変えていくということではない。
逆にいえば、着るものについては、夏服と冬服の2パターンしかない時代であったということである。したがって、そのころは、具体的な気温の変化に対しては、下着の質と量で対応、調節していたのだろう。
月の第1日を「朔日(さくじつ)」というが、珍名の一つに「四月朔日」がある。これで「わたぬき」と読ませる姓。江戸時代の4月1日の衣替えは、冬の「綿入れ」から綿のない「袷(あわせ)」に替えたそうで、そのことに由来する姓だという。
この、夏服と冬服の交替を宮廷では「更衣(こうい)」といった。しかし、なんともやっかいなことに、天皇の着替えを担当する高級女官のことも、着替え=衣服を替える仕事の職名で「更衣」と呼んでいたのである。
そして、よくある話だが、着替えをつかさどるだけでなく、寝所にもはべるようになる。源氏物語の、桐壺帝との間に光源氏をもうけた桐壺更衣などが代表的な存在。この天皇のそば近くに仕える女官が次第に権力を持つようになる。現実には仕方がない話。そうして、服を季節によって替える「更衣」という言い方は次第に敬して遠ざけられる形になり、一般には「衣替え(ころもがえ)」という呼称が広まっていった。
しかし、言い方を変えても内容は前と変わらない。そこで、漢字表記においては従来からの「更衣」が残り、言い方だけが「ころもがえ」に変わったというわけである。