6月10日は「時の記念日」。時間に正確を期す日本人好みの記念日だが、制定されたのは大正9年(1920)のこと。なぜ、このタイミングで時間に関する記念日をつくって、広く人々にアピールしなければならなかったのだろう。
大正時代というのは、鎖国の夢から覚めて以降、富国強兵の号令の下、必死で世界の「一等国」になろうとした明治時代のあと。日清、日露の対外戦争になんとか勝ちを収め、国民生活も東京、大阪といった大都会を中心に、欧米スタイルの生活様式が浸透していった時期。いわゆる「大正デモクラシー」の時代である。
その中で、欧米式の生活、つまり合理的なライフスタイルをさらに進めるためには、正確な時間の観念の定着が不可欠。そこで、一種の国民啓発、生活改善運動的なイベントとして、大正9年の5月16日から7月4日まで、東京お茶の水の教育博物館で「時の博覧会」が開かれたのである。
逆に言えば、こういうイベントを催さなければならないくらい、当時の人は時間というものに「いい加減」だったのかもしれない。いや、それを「いい加減」ということ自体が西欧的発想で、それまでの日本人は「いま何どきだ?」感覚の緩やかさで時間と付き合って、それで十分だったのだろう。
しかし、このあと画期的なメディアとしてのラジオの普及もあり、そこから聞こえる時報の正確さもあいまって、急速に日本人は時間にきびしい国民に変貌していく。
では、なぜ、「時の記念日」が6月10日なのか。これは、日本書紀に書かれた「天智天皇が皇太子のときにつくった漏刻(ろうこく)が初めて時を打った」日(4月25日)が、陽暦の6月10日にあたるところから。漏刻とは、いくつかの水槽に段差をつけて置いた一種の水時計で、最も古い形の「時計」の一つである。