紫陽花(あじさい)は“雨に咲く花”である。梅雨期には、なにしろこの花が印象深い。ただ、「紫陽花」の表記については、「紫」はわかるとして、雨期の代表的な花なのに「陽」はどうして、という人は多いだろう。これについては、平安期の歌人・源順(みなもとのしたごう)が漢詩の中の「紫陽花」をアジサイを指した漢字だと思い込んでしまったことが始まり、といわれている。実際に中国で紫陽花と書かれるのは「ライラック」なのだとか。
紫陽花は、ガクアジサイを母種として古くから改良されてきた日本特産の園芸種。簡単に挿し木ができるので、そこかしこの庭に増えていった。
万葉集には「あぢさゐ」、平安時代以降の和歌には「よひら(四片、四葩)の花」と詠(よ)まれたこの花、その他にも実に多くの呼称を持っている。「よひら」のほかに、「手まり花」「額花」「かたしろぐさ(片白草)」「八仙花」「べにがく(紅額)」「しちへんぐさ(七変草)」「七変化」などなど。まさに「七変化」の呼称のように、初め淡緑色、白、そして青紫と変わっていく。
早くから中国に渡った花で、ヨーロッパにまで伝わって、18世紀には園芸王国イギリスに入った。そして改良が加えられて、いわゆる西洋アジサイとなり、いまや日本でもこの種が全盛である。ただし、こちらのアジサイの紫や紅の花色は、開花中に変化しない。
幕末に長崎のオランダ商館の医師として来日し、日本に近代医学を伝えたシーボルトは、植物学の分野でも気鋭の学者だった。
彼はこの日本古来の花を愛し、ヨーロッパに持ち帰って世界に紹介したが、その中の大きな花の品種を「オタクサ」と命名した。これは、長崎での妻「お滝さん」にちなむものである。
長崎市は、このアジサイを「市の花」としているが、6月には市内の興福寺で紫陽花季が開かれる。