東京の祭りを代表する「山王まつり」は、6月の7日から16日を祭礼期間として行われる。山王まつりは、神田明神の神田祭、富岡八幡宮の深川祭とともに「江戸三大祭」とされる祭りの、筆頭格といわれる。また、広く日本の祭りとしても、京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに「日本三大祭」に数えられている。
また、徳川時代、山王まつりの神輿(みこし)は江戸城に入り、それを将軍が上覧拝礼することが3代将軍家光の時代からならわしとなった。この故に、神田祭とともに「天下祭」ともいわれる。
もともと、平安末期からのこの地域の豪族江戸氏が山王宮を祀(まつ)り、中世にいたって太田道灌が江戸に築城するにあたって川越山王社を迎え祀って、江戸の地の鎮護の神としたという。そして、徳川氏が江戸に入り、「城内鎮守の社」「徳川霊廟の産神(うぶすな)」「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」となった。将軍からも、江戸の町民からも崇(あが)められたのは当然である。
ところで、この山王まつりは、現在は「日枝神社」の祭礼である。なぜ、「日枝神社の山王まつり」なのか。この背景には、「浅草神社の三社祭」と同じ事情がある。つまり、明治維新期の政府による神仏分離の政策である。
明治維新まで、この神社は古くから「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」などと称され、町の人びとに「山王さん」と親しまれてきた。しかし、神道の国教化をめざした明治政府は、仏が神の姿をして現れたとされる「権現」の呼称を許さず、この社は明治元年(1868)に日枝神社の称号を用いることとなった。三社権現が浅草神社になったのも、同じ事情である。
ともあれ、21世紀の現在も「山王まつり」は東京人の誇りとされる祭礼。なかでも6月13日の「神幸祭」は山王まつり最大の盛儀とされ、鳳輦(ほうれん)2基、宮神輿1基、山車(だし)4基が、王朝装束のお供約500人とともに巡行する。世界の大都会東京の真っ只中を行く、華麗な王朝絵巻である。