現在では農薬の影響で少なくなったが、もともとは田植えのすんだころが、蛍(ほたる)の出始め。6月の中旬から下旬が最盛期で、田のあぜや水路脇などが蛍と親しむ、つまり「蛍狩り」の場所であった。
「蛍狩り」は、春の「桜狩り」、秋の「紅葉狩り」に並ぶ、ゆかしい日本語であったが、東京などでは、戦前にはすでに形骸化していたと思われる。
「音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけり」
これは三十六歌仙の一人、源重之の歌だが、鳴く虫よりも声を立てない蛍のほうが、激しい恋を忍んでいるようだ、という意である。
このように、蛍は万葉、古今の昔より、恋の主題で多く詠(よ)まれてきた。また、「源氏物語」にも「蛍」の巻があり、夕顔の遺児、玉鬘(たまかずら)に対する源氏の複雑な胸中が蛍に託されて表現されている。
蛍を巡るそうしたロマンチックな思いは、現代の女流俳人の代表的な句にも表れている。
「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」 桂信子
「死なうかと囁かれしは蛍の夜」 鈴木真砂女
五月雨(さみだれ)、つまり梅雨の湿気を含む重い空気感。そのなかをゆっくりと飛ぶ蛍と、それに親しもうとする行為には、美しいだけではない風情がある。あのほのかな光の明滅が、彼岸此岸の境目を危うくしているのかもしれない。
日本の蛍の種類には「げんじぼたる」「へいけぼたる」といって、源平になぞらえた種類の呼称がある。もちろん、というのも変だが、やはり「げんじ」のほうが体が大きく、光も強い。