「川開き」は、一般的には全国の大きな川で行われる水難防止を願う行事のこと。その行事や祭事が行われるのは、7月下旬から8月上旬が多い。しかし、俳句の歳時記などを繰ると、季節の言葉としての「川開き」は、隅田川の両国橋界隈で開催されてきた「両国の川開きの花火」に焦点化される。あの有名な掛け声「たまやーッ」、「かぎやーッ」の玉屋、鍵屋の名を高めた、一大花火の宴である。
この「両国の川開きの花火」、現在の「隅田川花火大会」の起源は江戸時代中期の享保18年(1733)、8代将軍徳川吉宗の肝いりで行われた飢饉(ききん)の死者慰霊と悪病退散の水神祭。このとき、両国橋畔の料理屋が、法要の意味で花火を上げた。花火の大音響で悪霊を追い払おう、ということだったのだろう。これが陰暦5月28日。この日から3カ月間、納涼船を出すことが許された。「川開き」である。
元来、花火(煙火)は兵器の一種だが、天下泰平の江戸中期には民間の技術になっていた。ただ、火事を恐れる幕府は打ち上げを禁じていたが、吉宗は大衆政策として、この隅田川の花火の恒例化を公許したのだろう。また、どーんと威勢よく上がってぱっと開く花火が江戸っ子の気風に合った。その後、老舗の花火屋鍵屋と、のれん分けの玉屋が両国橋の上流と下流を分担、将軍のお膝元を代表する花火師の意地と技を競って夏の夜空を彩り、江戸の夏の名物となっていく。
川開きのこの夜、両国橋の上のにぎわいはもとより、川べりには料理屋の特設桟敷ができ、川には花火見物の納涼船がびっしりと浮かんだ。安藤広重が描く「名所江戸百景 両国花火」で知られる、あの夜景である。
さすがに幕末の混乱期には中断されたものの、明治期には最盛期を迎え、そのころの6月28日から7月下旬、8月上旬と日程を変えながら「川開きの花火」は連綿と続けられた。
しかし、大都会東京の交通事情などにより、ついに昭和37年(1962)に中止。それが、昭和53年(1978)に地元の熱意もあって「隅田川花火大会」として復活再開され、例年7月の下旬に行われるようになった。江戸、明治、大正、昭和、平成をつなぐ東京の夏の風物詩である。