7月24日は、作家・芥川龍之介の命日で、「河童忌(かっぱき)」と呼ばれる忌日になっている。純文学の賞のなかで最も社会的にも影響力があるといわれる「芥川賞」に名を残す、その芥川龍之介である。
文学史的には、文豪といわれてもよい存在だが、享年は35歳。昭和2年(1927)7月24日に、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉を遺して服毒自殺した。大正デモクラシーの自由闊達な時代から、軍国主義が台頭する戦前の昭和への転換期。その「ぼんやりした不安」は多くの人の胸にもあったものなのか、この鬼才の自殺は社会的にも衝撃を与えた。
一高時代の親友である菊池寛は、自ら起こした文藝春秋で、芥川の名を冠した文学賞を創設。その後の純文学に新しい道を開いた。ちなみに、芥川の長男は昭和の名優・芥川比呂志だが、これは菊池の名前の寛(ひろし)の漢字を替えたもの。二人の友情の証といわれている。
近年大ヒットした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の主人公の文学青年の名前、茶川龍之介は、芥川龍之介のモジリであることは明らかで、そのことによって、芥川の名前の大きさが改めて印象づけられた。
芥川は、明治25年(1892)に東京の京橋に生まれ、少年時代に芥川家の養子となった。東京府立第三中学(現両国高校)、第一高等学校、東京帝国大学英文学科と進み、夏目漱石の門下となる。
作風は、東京人、都会人らしい機知に富んだ、理知的なものが多いが、名随筆「大川の水」(両国高校に碑あり)などを読むと、大川つまり隅田川界隈(かいわい)に育った江戸人的な情趣も残していることがわかる。また、師の漱石と同じく俳句にも親しみ、こちらには「青蛙おのれもペンキぬりたてか」など、俳人とは一線を画す思い切った句を残している。
河童忌は、最晩年の代表作「河童」にちなんだもの。この作品は、社会風刺を強くきかせた一編だが、河童という言葉には、少年時代の隅田川に寄せた愛着のにおいも感じられる。