東北四大祭りの一つで、日本の代表的な「火の祭り」といわれる津軽の「青森ねぶた」と「弘前ねぷた」。その「ねぶた」「ねぷた」は、祭りの主体である大型の提灯(ちょうちん)をいい、また祭りそのものをいう言葉である。ただ、以前は青森でも「ねぷた」といい、弘前でも「ねぶた」といっていたという。
昭和55年(1980)、「青森ねぶた」
と「弘前ねぷた」
は、ともに国の重要無形民俗文化財に同時に指定され、この呼称の違いが定着した。では、民俗行事として、ということになると、起源、由来はどうなのか。そのことについては、大きく三つの説がある。
まず一つは、平安時代初期の征夷大将軍、坂上田村麻呂の東北地方遠征の折、敵をおびき寄せるために人形をつくり、はやしたというもの。しかし、坂上田村麻呂が津軽を攻めた史実はないとのこと。
二つ目は、16世紀末、豊臣秀吉の天下のころ、津軽藩の藩祖、津軽為信が京の都に出向いたとき、地方豪族とあなどられないために盂蘭盆会(うらぼんえ)に大提灯を出したというもの。ただ、これを「ねぶた」と関連付けるのはどうか、ともいわれる。
三つ目は、各地に残る「虫送り」の行事と同様の害虫除け、災厄よけ祈願とか、盆の灯籠(とうろう)流し、この地の「眠り流し」などの民衆の夏の行事が一つの形になった、というもの。現在は、これが定説のようだ。
「ねぶた」「ねぷた」については、古くは「ねむ(眠)たし」で、それが「ねぶた」、そして「ねぷた」といわれるようになっていったという。18世紀の江戸期の享保年間に始まり、それが明治以降に大発展、津軽藩の城下町である弘前では扇型と人形型の大型提灯を出す「ねぷた」、商業の中心である青森では派手な武者型の大型提灯を出す「ねぶた」として定着、東北の夏を代表する祭りとなった。
弘前は8月1日から、青森は2日から6日までが夜の運行。7日は両市ともに昼に行われるが、青森では7日夜に海上運行も行われ、幻想的な一夜となる。
鉦(かね)、太鼓、「ヤーヤドー」の行進の掛け声、浴衣に花笠のハネトと呼ばれる踊り手
の「ラッセラー」のはやし声も含め、環境省の「残したい日本の音風景百選」に選定されている。