「心太」は「トコロテン」と読む。夏の涼を呼ぶ食べ物の代表として愛されている、あのトコロテンである。トコロテン自体、何ともとらえどころのない、不思議な味と食感の食べ物だが、その名前、そして心太=トコロテンという、その読み方もまた大いに不思議である。
まず、読み方の不思議から考えてみよう。心太は、普通に読んでシンタ、あるいはココロブトとしか読めない。それが、なぜトコロテンなのか。
ご存じのように、トコロテンの原材料は海草の「天草(テングサ)」だが、この天草そのものが、奈良時代にはすでに食材として供されていたことが「正倉院文書」にも記されている。どう記されているのか。「ココロブト」である。平城京、平安京の市でも売られたという。
つまり、ココロブトとは天草のことであり、そこから天草の加工物もココロブトというようになり、そして、天草の加工物であるあのゼリー状に固めた食品もココロブトと呼ばれるようになったという道筋が考えられる。
そして、心太=ココロブトがココロフト、ココロフテ、そしてココロティ、ココロテン、ついにはトコロテンとなっていった、という推察がある。
さて、心太の作り方。磯から採ってきた天草を洗ってさらし、煮たものを型に流して冷却。それが固まったら、食材としての心太の出来上がり。そのゼリー状のものを冷水で冷やしておき、食する際に拍子木形に切り取って「心太突き」という専用の道具に入れて突く。すると、その道具の先端に取り付けられた格子状の金具によってさらに細長くカットされた心太が、何の抵抗もなくズルズルと突き出されてくる。この様子から「心太式の卒業」などという例えも生まれた。
心太突きから麺状に突き出されてきた心太を、酢じょうゆや辛子じょうゆで食べる。これが、料理としての「心太」。庶民の夏の嗜好品、清涼メニューである。また、これを賽(さい)の目に切ると、ミツ豆の材料になる。
室町時代の「七十一番職人尽歌合」に「心太売り」がある。大正のころまでの東京では、「トコロテンヤ、テン」と唱えながら町を流して歩く「心太売り」が一つの夏の風物詩であった。
成分は99%水分。カロリーがなく、天然のダイエット食品として女性に人気が高い。