炎天の下、汗と涙にまみれた高校球児が、グラウンドの砂をかき集めている。いつもながらの「夏の甲子園」(全国高校野球選手権大会)の光景。それは、すっかり日本の夏の風物詩として定着している。
阪神甲子園球場、通称「甲子園」は、日本初の大規模球場。プロ球団の本拠地として最大の収容人数を誇る、阪神電鉄所有の球場。屋外の施設としては最大の球場である。ただ、それだけでなく、この球場は日本の「野球の聖地」、「野球人の心のふるさと」といわれ、「甲子園」というだけで涙ぐむ人もいる。それは「ベースボール」ではなく、日本の「野球」が育んだ精神性である。
「甲子園」ができたのは大正13年(1924)。その年は、60年に1度の「甲子(きのえね)」の年で、それにちなんで「甲子園大運動場」と命名された。同年、「夏の選手権」の第10回大会、翌年、「春のセンバツ」(選抜高校野球大会)の第2回大会が、この新球場で開催され、以降「甲子園」は高校球児(当時は中学球児)の夢の舞台となった。
そして、ここから日本の球史を彩る数々の「甲子園伝説」が生まれることになる。イチロー(鈴木一朗)はこのマウンドで投げ、マツイ(松井秀喜)は5打席連続敬遠という不可思議な作戦の渦中の人となった。マツザカ(松坂大輔)はこの晴れ舞台の決勝でノーヒットノーランという快投を演じ、「松坂世代」という言葉を生んだ。
さて、球場名の由来となった干支(えと)の「甲子」だが、干支とは「十干十二支(じっかんじゅうにし)」のこと。十干は、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)を五行(木、火、土、金、水)にのっとって順に陽と陰に当て、陽を兄(え)、陰を弟(と)とする。
したがって、読み方は、たとえば「甲」は陽で兄(え)だから「きのえ」。これに子(ね)、丑(うし)、午(うま)などの十二支を組み合わせて「十干十二支」とする。つまり十干の「甲(きのえ)」と十二支の「子(ね)」である年は、単に「子(ね)」の年ではなく、「甲子(きのえね)」の年。そして、十干と十二支のそれぞれの最初である甲と子の組み合わせ「甲子」の年は、十干十二支の最初となる。この10と12の最小公倍数は60だから、十干と十二支のこの組み合わせも60年に1度。その一回りで「還暦」となる。