8月15日は「終戦記念日」と呼ばれ、東京の日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われる。この式には天皇も出席し、「おことば」を述べられる。この日については、1982年の閣議決定で「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」とされている。
一般的には、日本の無条件降伏を求めた「ポツダム宣言」を受け入れ、戦争の終結を宣言した昭和天皇の「玉音放送」のあった日なので、これは敗戦の日ということになる。つまり、ポツダム宣言に署名したアメリカ、イギリス、中国、ソ連(当時)等に対する敗戦ということになる。
しかし、もう少し大きく見れば、昭和6年(1931)9月の中国での「柳条湖事件」をきっかけとする「満州事変」と、それが拡大した「日中戦争」、そしてその泥沼化した状況の打開を求めて対アメリカ、イギリスとの戦端を開いた昭和16年(1941)12月8日からの「太平洋戦争」、これらを合わせたいわゆる「15年戦争」における大日本帝国の敗戦であった。
厚生労働省の統計によれば、日本軍としての軍人、軍属の戦死者は約230万人。現在でいえば中学生のような「少年兵」から「学徒出陣」の学生、40代の「お父さん」までが戦火のなかで命を散らした。また一般国民も、とりわけ戦争終盤のアメリカ軍による空爆や沖縄戦、原子爆弾投下などにより、約80万人が命を落とした。「全国戦没者追悼式」は、この軍人、軍属、一般国民を合わせた300万人以上の「戦没者」が対象となっている。
もちろん、第二次世界大戦のなかの戦争だけに、その戦域も南はオーストラリア、タイ、ミャンマー(ビルマ)、インド、北はアリューシャン列島までと広く、各国、各地域で現地の人々にも多くの犠牲者を出した。
したがって、「終戦」といっても、季節が巡るように自然に戦争が終わったわけではない。甚大な惨禍を経ての日本の「敗戦」であり、そうして「戦争が終結した日」として「8月15日」は暦のなかで多くの人に記憶される。また、「戦後」の60数年、日本が一度も「戦死者」「戦没者」を出していないことを心に刻む日としている人も少なくない。