山梨県富士吉田市の「吉田の火祭り」は、長野県諏訪市の「御柱祭(おんばしらさい)」、秋田県男鹿市の「なまはげ」とともに、日本三大奇祭の一つとされる。
それにしても、日本三大奇祭、といわれる祭りは日本各地にある。「奇」とは、「普通でないこと」。もちろん決定機関があるわけではないので、わが町の祭りこそ奇なり、というのは自由だが、どのような組み合わせでも「吉田の火祭り」が三つのうちに入る確率は高いようで、それほど世間に広く知られた大迫力の祭りだということになるのだろう。
8月26、27日に行われる「吉田の火祭り」は、26日の「鎮火祭」と27日の「すすき祭り」を合わせていう祭り。このうち、26日の「鎮火祭」は、北口本宮冨士浅間神社と境内の諏訪神社の両神社の秋祭りで、「火祭り」のイメージは、この「鎮火祭」の行事によるものであることは、まちがいない。
そして、この祭りは、7月1日に行われた富士山の「山開き」に対する「山仕舞い」を告げるものと位置づけられている。
26日は、氏子や神輿(みこし)を担ぐ勢子(せこ)がおはらいを受けた後、「大神輿」と富士山を模した「お山さん」と呼ばれる神輿の2基が市中を練る。そして暮れ方、神輿がお旅所に奉安されると、いよいよ「火祭り」の開始となる。
「富士みち」と呼ばれる通り約2kmにわたって、高さ3mのたけのこ形につくられた大松明(たいまつ)70余本、そして家々の門口に井桁(いげた)に組まれた松明にいっせいに火がつけられる。瞬く間に、沿道および街中が火の海となっていく。と同時に、富士山5合目から8合目の山小屋でもかがり火に点火され、そうして富士山とふもとの町が一体となった祭りの火が3時間以上も燃え続ける。まさに、天下の奇祭の名にふさわしい壮観である。
この祭りが行われる北口本宮冨士浅間神社は、富士山の吉田口登山道の出発点。本殿の創建は延暦7年(788)という古社で、富士信仰の中心的存在。富士山の祭神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」など3神を祀(まつ)る。富士吉田の町は、この社の門前町、富士講の人々の町として栄えてきたのである。