9月1日は「関東大震災」が起きた日である。「地震大国」などというありがたくない呼ばれ方もあるほど地震の多い日本。フィリピン海プレートの沈み込みなど、この列島の構造上、地震の発生はいたしかたなしとすれば、あとはいかに人間の努力で被害を小さくとどめるか、ということになる。
そういう意味において、日本の近代史のなかで未曾有(みぞう)の大天災である「関東大震災」は、学ぶことの多い事例として位置づけられる。
この「関東大震災」と名づけられた大地震は、大正12年(1923)9月1日、午前11時58分に発生した。震源地は、神奈川県の小田原市付近の相模トラフ。ほぼ東経139.1度、北緯35.3度の位置とされる。
地震の大きさ、規模を表す「マグニチュード」では7.9を記録。ちなみに1995年1月17日の阪神・淡路大震災はマグニチュード7.3。また、同じ相模トラフが震源と見られる1703年の元禄大地震(元禄関東地震)は、マグニチュード8.2だったといわれる。
地震動の強さ、つまり揺れなどの程度を数値化した「震度」は、0から7までを10階級に分ける(震度5と6を弱と強の2階級に分ける)が、関東大震災の場合、千葉南部で震度7、東京や横浜で震度6。東京での最大振幅14~20cm。関東南部に甚大な被害をもたらした。
最も激しい揺れである震度7は、どういう状況をもたらすのか。気象庁の解説では、「揺れにほんろうされ、自分の意志で行動できない。屋内は、ほとんどの家具が大きく移動し、飛ぶものもある。ほとんどの建物で、壁のタイルや窓ガラスが破損、落下する。耐震性の高い住宅でも、傾いたり、大きく破壊するものがある」とされている。
関東大震災においては、当時、耐震性の弱い木造住宅が多く、また昼食準備のために台所で火を使う時間帯でもあったため、火災も含めた被害が広がった。
全体で、死者・行方不明10万5000人余。家屋の全半壊21万1000余、および焼失21万2000余。この大震災の教訓を生かし、防災意識を高めるために、1960年に9月1日が「防災の日」とされた。