明治5年(1872)の9月12日、日本で最初の鉄道が、東京の新橋駅と横浜駅の間で正式に開業した。それまで、徒歩でほぼ1日かかっていた距離を、53分で走ったのである。
この日、新橋駅に明治天皇を迎えて開業の式典が催され、華やかな雰囲気のなか、天皇の乗った「お召し列車」が新橋駅と横浜駅の間を往復した。それは、近代日本の交通・運輸の主役になるはずの、この新奇で大きな機械を国民に知らしめる、大デモンストレーションでもあったのだろう。それほど、蒸気機関車のことを人々は知らず、黒船などの蒸気船にたとえて「陸蒸気(おかじょうき)」と呼んだ。何しろ「廃刀令」(明治9年(1876))が出る前の時代である。
ジョン万次郎など漂流民をのぞいて、日本人で初めて蒸気機関車を見たのは幕末の長崎の人。嘉永6年(1853)、長崎港に入ったロシアのプチャーチン艦隊が、艦上で模型の蒸気機関車を走らせた。翌年には、ペリーが2回目の来航の折に「大統領から将軍へ」の献上品として持ってきた模型の蒸気機関車が、横浜で走った。このとき、その模型にまたがって走った幕臣がいたとのこと。恐らく彼が蒸気機関車に乗った最初の日本人だろう。
明治維新後の日本政府は鉄道建設の協力と指導を「鉄道発祥の国」イギリスに依頼。したがって、機関車もイギリス製。明治3年(1870)の測量開始から約2年で正式開業にこぎつけたのである。このときの新橋駅は後の汐留貨物駅(現在は廃止)、横浜駅は現在の桜木町駅ということだが、ともあれ、大和田建樹作詞の「鉄道唱歌」で、新橋は首都東京の最も重要な駅として認識されることになる。「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」である。ちなみに東京の中央駅としての「東京駅」が完成するのは、40数年後の大正3年(1914)のこと。
また、明治5年には暦の改編もあり、この年の12月から日本も太陽暦を採用することとなった。したがって、鉄道正式開業の明治5年9月12日は、それまでの天保暦(旧暦)での日取り。旧暦最後の年のことである。これを太陽暦(新暦)に直すと10月14日。現在の「鉄道の日」はこの日取りになっている。