10月の8日ごろが二十四節気の「寒露」にあたる。この一つ前の二十四節気が「秋分」で、9月の23日ごろ。「秋分」の日は、秋のお彼岸の中日にあたり、昼と夜の長さがほぼ同じになる日である。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるが、まさにお彼岸の中日、つまり「秋分」の日を過ぎれば、朝夕の冷え込みも進み、ぐっと秋の季節感が増してくる。「秋分」のもう一つ前の二十四節気を「白露」といい、朝夕、草木の葉に露を置き始める美しさを愛でたものだが、この「寒露」になれば、その露に寒さを感じるというのである。
10月のまだ上旬に「寒」というのはいかがなものか、という向きもあるかもしれないが、振り返ってみれば8月の7日ごろが「立秋」なのだから、二十四節気の感覚においては、10月はすでに晩秋なのである。
また、二十四節気という「一年のなかの季節の目安」が案出された古代中国では、黄河流域、つまり華北平原の大陸的気候の地域を背景としていたのだから、もとより日本とは1カ月ほど季節感覚のずれがあるともいえる。
そうした感覚のずれを補うために、二十四節気をさらに3分割した七十二候においては、日本バージョンを作ったりしている。この「寒露」における日本の七十二候を見ると、その初候は「鴻雁来(こうがんきたる)=雁(がん)が飛来し始める」、次候は「菊花開(きくかひらく)=菊の花が咲く」、末候が「蟋蟀在戸(しっそくこにあり)=キリギリスが戸口のあたりで鳴く」、となっている。
「鴻雁来」。冬鳥である雁がシベリアあたりから渡ってき始めるというのだから、やはりこれは秋たけなわ、の感覚なのだろう。季節感を旨とする俳句では、初雁、雁渡る、雁来る、落雁などが秋の代表的な季語となっている。