秋たけなわの10月中旬の日曜日、東京都江東区の都立木場公園で、東京都指定無形民俗文化財・江東区登録無形民俗文化財の「木場の角乗り(かくのり)」が行われる。これも、江戸から東京へと続く伝統文化のなかで、現代に残った新しい秋祭りの形ではないだろうか。
この行事、無形文化財としてのジャンルは「民俗芸能」ということになっている。これは、江戸時代に、「川並(かわなみ)」と呼ばれた筏師(いかだし)たちが見せた、木材を扱う技術が余技として洗練され、芸能化したためである。
では、あらためて、「木場の角乗り」とは何か、その歴史から振り返ってみよう。まず、「木場」とは貯木場のことであり、そこから転じて貯木場のある地域もこの名で呼ばれるようになった。「木場の角乗り」の木場は東京都江東区木場のことであり、そこは江戸時代の初期から隅田川河口の貯木場として全国に知られた地域であった。
徳川幕府のおひざ元となってから、江戸という大都会は何度も大火に見舞われている。とりわけ「振袖火事」ともいわれる17世紀半ばの「明暦の大火」などの後では、大量の建築資材、つまり木材が必要とされ、木場は地方からの木材が集積する一大根拠地となった。そして、そこでは当然、木材を扱うプロフェッショナルが必要とされる。それが、「川並」である。
トラック輸送などない時代、ほとんどの木材は切り出されたところから川を下り海を経て木場に集められる。もちろん、木材は水に浮かべられている。その木材に乗って、鳶口(とびくち)一つで巧みに筏に組んでいく男たち。その姿は、何とも粋で、いなせで、かっこよかったのだろう。
さらに、そのかっこよさを競うように、木材に乗る技術、集める技術を競い合ったのである。いわく「手放し乗り」「駒下駄乗り」「足駄乗り」、あるいは「一本乗り」「梯子(はしご)乗り」「三宝乗り」などなど。
「角乗り」をする木材は、その字のごとく、角材なので、丸太よりも乗る技術は難度が高いとのこと。それは、「こんなことしたって、落ちやしねえぞ」という、水上で見せる「江戸っ子の心意気」なのである。