木更津(きさらづ)といえば、最近では東京湾を渡るアクアラインの千葉県側の出入り口として知られているが、もともと房総と江戸、鎌倉とを結ぶ港町として栄えたところ。歌舞伎の、いわゆる「お富与三郎」(「世話情浮名横櫛」)の与三郎の、「しがねえ恋が情けの仇」で始まる名せりふでもおなじみの地名である。
この木更津に、内房地域ではめずらしいといわれる浄土真宗の名刹「護念山證誠寺(しょうじょうじ)」がある。この「證誠寺」が、実は、あの有名な童謡「証城寺の狸囃子(たぬきばやし)」のモデルになった寺である。そして、この寺で毎年10月の第3土曜日に「たぬきまつり」が行われている。
「しょ、しょ、しょうじょうじ」の歌い出しで知られる童謡「証城寺の狸囃子」は、大正14年(1925)、野口雨情作詞、中山晋平作曲で童謡童話雑誌「金の星」に発表された。この童謡の元は、大正7年(1918)に野口雨情が講演会で木更津を訪れたときに町から提供された「證誠寺の狸伝説」についての情報だという。ただ、読み方は同じ「しょうじょうじ」でも、童謡のほうの寺名を「証城寺」としたのは、雨情の何らかの配慮だったのだろう。
江戸時代初期の17世紀半ばに創建された證誠寺は、雅楽などを用いて他の寺とは異なる布教活動をしたとかで、「五昼夜音楽法要」といった史実も残る。このあたりから「狸囃子」の伝説が生まれたともいわれている。寺に伝わるその伝説は「住職が、ある月の美しい夜にふと目をさまして庭を見てみると、なにやら騒がしい。なんとそこには大小百匹の狸が行列を作って、證誠院のペンペコペン、俺らの友達ゃ、ドンドコドン、と歌いながら踊っている。腹をドンドコたたいたり、葉っぱや葦(あし)の茎で作った笛で調子をとったりしている」というもの。このあとは、住職と狸の頭目との腹つづみ合戦で、狸の腹の皮が破れる、という日本昔話でおなじみの展開となる。
現在では、JR木更津駅の発車メロディーも「証城寺の狸囃子」だし、西口広場には日本一の狸像も立つ。マンホールのふたの絵も狸。そして證誠寺の「たぬきまつり」で、狸の衣装をつけた小学生たちの「証城寺の狸囃子」に合わせた踊りが披露される。