11月21日は、日本の代表的な古典演劇「歌舞伎」を上演する専門劇場としての「歌舞伎座」が東京に開場した日である。
歌舞伎の始まりは、京都四条大橋畔での出雲阿国(いずものおくに)の「阿国歌舞伎」とされている。16世紀末から17世紀初頭、徳川家康が江戸幕府を開く前後のころのこと。阿国は出雲大社の巫女(みこ)だったともいわれるが、定かではない。ただ、その踊りは魅惑的だったのだろう。念仏踊りを阿国流の所作に仕立てた興行が大ヒット。それが歌舞伎芝居に発展していった。
「歌舞伎」は、そのころの流行語「カブク」から生まれた言葉。意味は、「とんでもないことをする」「異様な風俗」といったこと。たぶん、阿国の踊りも「とんでもない」振り付けで、衣裳も「目をむくような」カブクものだったのだろう。もちろん、そういうことが大ヒットの要因である。ただ、初期の興行は、あくまでその場限りの「小屋掛け」だったようだ。
その後、江戸時代に入り、17世紀後半の元禄期には黄金期を迎え、江戸、大坂、京に常打ち小屋、つまり「劇場」ができた。そうして歌舞伎は、相撲、遊里とともに、人気の高い大衆娯楽となった。
江戸時代の歌舞伎興行の伝統を今に伝えているのが、京都・南座の師走興行「顔見世」だが、それは当時は江戸でも行われていたこと。「江戸三座」とよばれた中村座、森田座、市村座が、当たり狂言を競った。
歌舞伎役者の中村勘三郎、守田勘弥、市村羽左衛門は、この三座の家元の家系で、元来、劇場・興行側の人でもあったわけで、当代の勘三郎が「平成中村座」をプロデュースしているのも、うなずける話である。
明治になって、これらの「芝居小屋」とは別に、劇作家、福地桜痴が「国劇」の殿堂の建設を提唱。これをうけて明治22年(1889)11月21日に開場されたのが、「歌舞伎座」である。他の伝統の三座は、火災や関東大震災で消滅。隆盛を誇った歌舞伎座も、関東大震災や空襲で全壊したが、そのつど復興。あの独特の威容とともに、日本の誇る演劇文化を世界にアピールしてきた。そうして開場以来120年余、東京銀座の歌舞伎座は2010年に21世紀のリニューアルを予定。09年1月からの興行が「さよなら公演」となる。