12月ともなると、京都盆地の底冷えも一段と厳しくなってくる。そんな師走の京都に、おなかの中から温かくなるような年中行事がある。「大根焚き(だいこだき)」である。なかでも、「千本釈迦堂の大根焚き」と「了徳寺の大根焚き」が最もよく知られている。
基本的にはこの時期の「大根焚き」を食べると「中風」にならないという言い伝えに基づく、なんとも庶民的な行事。寒冷期の脳出血などの用心をいったものだろうが、それぞれに、京都の冬の風物詩として長く親しまれてきた。
さて、毎年12月7日と8日に「大根焚き」が行われる千本釈迦堂だが、実はこの名前は通称で、正式名称を大報恩寺という。鎌倉時代初期に創建された古刹(こさつ)であり、室町時代後期の「応仁の乱」で京の町の大半が焼けてしまったときも、その本堂(釈迦堂)だけは焼け残った。つまり、釈迦堂は、現存する洛中(古い京都市中)の建物のなかで最も古いものであり、国宝に指定されている。
「大根焚き」は、この寺の成道会(じょうどうえ)という法要にちなむ行事。成道会は、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた日である12月8日に行われる法要である。鎌倉時代のこと、この寺の慈禅上人がその成道会の折に大根の切り口に梵字(ぼんじ)を書いて、無病息災を祈願した。それが「大根焚き」の由来といわれている。
上京区五辻通千本の「千本釈迦堂」大報恩寺の境内に、大根を焚く大鍋の湯気が立ち上る。その湯気の向こうに、厄除け、病気除けの大根をいただくために善男善女が並ぶ。
続いて、9日、10日には、右京区の鳴滝(なるたき)にある了徳寺で報恩講、通称「大根焚き」が行われる。この行事は、親鸞聖人の説法に感動したこの地の人々が、せめてもの恩返しにと「大根の塩焚き」を差し上げたという逸話にちなむもの。このとき、親鸞は「帰命尽十方無碍光如来」の文字を芒(すすき)の穂で書き、里の人々へのお返しとしたという。そうして、了徳寺は「鳴滝大根焚寺」と呼ばれるようになった。
現在では、約3000本の大根が醤油(しょうゆ)味で焚かれ、約1万人の参拝者に供される。この大根は保津峡右岸で採れる幻の大根「篠大根」。
ちなみに、親鸞聖人像に供えるのは、故事どおりの「塩焚きの大根」だとのこと。