日本の年末の代表的な習わしとして「煤(すす)払い」がある。そのなかで、寺院などでは12月の12日に、ご本尊あるいはご本尊を安置する堂宇の「煤払い」が行われることが多い。たとえば、東京では「観音さま」でおなじみの台東区の浅草寺などが12日の「煤払い」。こういった寺院関係では、それは単なる「掃除」ではなく、れっきとした宗教行事であり、ご本尊に対する尊崇の念をこめて「お身ぬぐい」といったりする。
元来「煤払い」は、衛生観念に基づく「大掃除」などではなく、「年神さま」をお迎えする、つまり新年、正月迎えのための宗教的意味を持つ行為であった。門松の用意をしたりするのと同じ意味あいである。
ただ、最近はこの「煤払い」を、何かの「お払い」か「おまじない」のような言葉と思っている若い人も多いとか。なぜか。まず「煤」がわからないという。しかし、それももっともな話で、いまや家庭生活のなかで「煤」を目にすることはほとんどない。
では「煤」とは何か。それは、煙とともに立ち上る炭素粒。いま「目に見える煤」といえば、ろうそくの炎の先端から出る黒い煙ぐらいだろうか。
日々の暮らしのなかの熱源のほとんどが電力とガスになって久しいが、江戸時代までは炊飯にも魚や野菜の煮炊きにも木を燃やした。暖房も炉で木を燃やした。照明もろうそくや菜種(なたね)油を燃やした。そうしたものを燃やしたあと、灰と一緒に屋内に残ったもの、それが「煤」である。そして、毎日の暮らしの積み重ねで、屋内は、1年で煤だらけになる。これを竹竿(さお)の先にわらをくくりつけたものや笹竹などで払っていく。これが「煤払い」である。
ただ、昔から年末の「年迎え」の宗教行事として「煤払い」はあったものの、何日にという日取りは決まっていなかった。それが江戸時代、江戸城の煤払いが12月の13日となり、そこから井原西鶴も「世間胸算用」に「毎年煤拂(すすはらい)は極月十三日に定めて」と書いているように、一般民衆もこの日を「煤払いの日」とするようになったという。
しかし、家庭で煤が出なくなって以来、煤払いは宗教的意味合いから離れた「大掃除」にとって代わられ、現代では日にちの決まった「煤払い」は、寺院や神社に残るのみとなっている。