1月15日を「小正月(こしょうがつ)」という。なぜ、「正月」に「小」がつくのか。それは、月の満ち欠けを基本にした「太陰暦」に関係している。
「小正月」は、「望(もち)の正月」ともいうが、この「望」は「望月」「満月」のこと。つまり、古い暦である太陰暦のころは、その年の最初の満月、1月15日を1年のスタートとしていた。それが、暦が進化して太陰太陽暦になり、1月1日が年初になると、古い暦との対比でこの1月1日を「大正月(おおしょうがつ)」といい、1月15日のことを「小正月」というようになった。そうして、諸々の正月行事が「大正月」と「小正月」に並立するようになったのである。
「小豆粥(あずきがゆ)」など、15日の「小正月」に行われるさまざまな正月行事のなかで、もっとも有名で、広く日本各地で行われているものに、「左義長」あるいは「どんど焼き」と呼ばれる火の祭りがある。「どんど焼き」は地域によって呼称が分かれ、「どんと焼き」「とんど焼き」などとも呼ばれる。
「左義長」は「三毬杖」とも書き、平安時代に宮中で正月に行われていた行事が起源という説が有力とされている。馬に乗り、先がへら状になった杖で毬(まり)をすくう、中国伝来の正月遊び「打毬(だきゅう)の楽」があり、その杖の壊れたものを集めて焼いたのが語源というわけだ。これが後に行事化して、3本の毬杖(ぎっちょう)を焼いたので「三毬杖」となったのである。ただ、なぜ「左義長」の表記になったかは、不明という。
「左義長」にしろ、「どんど焼き」にしろ、現在では子どもの小正月の習わしになっている。地方によりやり方はさまざまだが、1月14日の夜か15日の朝、たとえば藁(わら)を積み、そこに青竹を組んで火をつけ、その火で正月飾りの門松や注連縄(しめなわ)、あるいは書き初めなどを焼く。
「松の内」も現在は7日までといわれることが多いが、本来はこの松飾りをとる15日までをいうのである。
「左義長」の火で焼いた餅を食べれば無病息災、焼いた書き初めが高く舞い上がれば書が上達する、などといわれる。火に物事を浄化する力をみる信仰があり、正月に迎えた年神さまを送る意味もある。
また、小正月は、「女正月」ともいわれる。年末から年初、忙しく働いてきた女性たちに一息ついてもらおうという意味とか、多忙だった女性たちがやっと年始に回れるようになる日だからとかいわれる「女正月」である。