1月16日は「薮入り」。「やぶいり」と読む。この日は、昔風にいえば奉公人、丁稚(でっち)や女中の「宿下がり」、つまり商家の使用人やお金持ちの家のお手伝いさんなどが休暇をもらって親元に帰るのが許される日であった。また「薮入り」は、お嫁さんが嫁ぎ先から実家に帰ってもよい日という意味もある。習わしとしては江戸時代の元禄期(1688~1704)に始まったことで、元来はお嫁さんが実家に帰る日を指していたようである。
実は7月16日も「薮入り」と呼ばれる日なのだが、こちらは1月16日の「薮入り」と区別して、「後の薮入り」といわれる。俳句の世界では「薮入り」といえば新年の季語、つまり1月16日のほうの風習を指すことになっている。
いずれにしても、毎日忙しく働く若者たちにとっては年2回の休暇。正月とお盆の時期の、待ちに待った自由時間だったのだろう。ただ、休暇だからといって皆が皆、そもそもの意味のように生家に帰るわけではない。「薮入り」の日の浅草などの盛り場、繁華街は若い男女で非常ににぎわったという。土日の休日化や祝祭日の増加などで、近年はすっかり忘れられてしまった言葉だが、風習としては1960年代ぐらいまでは続いていたようだ。
しかし、こうした奉公人やお嫁さんが休暇をもらって生家や実家に帰ることを、なぜ「薮入り」というのか、ということについての定説はない。一説に奉公人を家に帰すことを意味する「宿下がり」を「宿入り」ともいうところから、それがなまったものといい、また一説に故郷の生家、つまり草木の生い茂った「薮の多いところ」に帰って大いに羽を伸ばすからだともいう。あるいは、休暇をもらっても帰るところのない奉公人が、人目につかないように薮の中に入っていたからという、哀しい説もある。
お嫁さんが実家に帰る日ということでは、関西地方に「親見参(おやけんぞ)」という言い方があり、そこから「養父入」(やぶいり)となったという由来説もある。
信仰の面から見ると、この日は「閻魔(えんま)の斎日」で、地獄の釜の蓋(ふた)のあく日、地獄の鬼も休業の日。主人に服を作ってもらったり、お小遣いをもらったりした「丁稚どん」も、まずは「閻魔参り」をして正しい行いができるように祈り、そうして親元に帰ったり、芝居を見たり、おいしいものを食べたりして、楽しい一日を過ごしたのである。