1月の末から2月の初頭にかけて「旧正月」ということがよくいわれる。これは、たとえば1月1日から7日までをいう「大正月(おおしょうがつ)」や、古い太陰暦のころの正月の名残である、その年最初の満月=1月15日をいう「小正月(こしょうがつ)」などとは意味合いが違う。あるいは女性の正月仕事が一段落する「女正月」とか、諸々の正月行事の納めとする「二十日正月」などとも「正月」の言葉の位置づけが違う。もちろん、正月を寝て過ごす「寝正月」といった言い方とも違う。
では「旧正月」の「旧」とは何か。それは「旧制の暦」「古い暦」つまり「旧暦」の意。したがって「旧正月」とは「旧暦の正月」ということになる。
当然のことながら、「旧暦」とは「新暦」に対していわれる言葉。日本の場合は、明治5年(1872)の12月に、いわゆる太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されたわけだが、これがいうところの「新暦」。このことによって、それまで使われてきた太陰太陽暦は「旧暦」といわれることとなった。具体的には、「旧暦」の明治5年12月3日を、「新暦」の明治6年1月1日としたのである。
しかし、そうなったからといって人々の暮らしぶり、習慣が一変するわけではない。とりわけ地方の人々は長く、年中行事などを旧暦にしたがって行うところが少なくなかった。それだけでなく、おおよそ旧暦の日付にしたがうものの、あくまでおおよそという意味の「月遅れ」という言葉のなかで、さまざまな伝統的風習が行われた。これが、実は新暦を単純に1カ月遅らせて行うというやり方で、「旧正月」をそういう日取りで行うところも多かった。
アジアのなかで、暦を太陽暦つまり新暦に転換したのは日本が一番早かった。しかし、その日本でも、昭和20年代まで、ほぼ半数の人々が「旧正月」を行っていたとのこと。日本より遅く新暦を採用した韓国や中国ではいまだ旧正月が盛んだというのもうなずける話である。
最後に「暦(こよみ)」の語源について。これは「日読み」つまり「日」は「か」、「読む」は数を数える意味があり、その「かよみ」が「こよみ」に転じたもの、といわれている。