2月16日は「西行忌(さいぎょうき)」。万葉歌人を代表する柿本人麻呂、俳聖と呼ばれる松尾芭蕉と並んで「日本三大詩人」とたたえられる西行法師が没した日。文治6年(1190)の2月16日、すでに存命中から伝説に包まれていた漂泊の大歌人西行は、その73年の波乱の生涯を閉じた。
平安時代末期の歌僧として知られる西行は、本名を佐藤義清(のりきよ)という。出家しての法名は円位。名門藤原家の流れをくむ家系であり、「北面の武士」に任官して鳥羽上皇に仕えたエリート若武者であった。それが、23歳のとき、突如この世の無常を感じたとして出家する。歌の才能にあふれ、貴人警護の「北面の武士」という役目柄、体躯容貌も秀でた人物であったとのこと。しかも、この時点では妻帯しており、幼い娘もいたのである。
こうしたことから、この突然の出家は、女御との恋愛の破たんなど、いくつかの原因が語られながら、当時から大いなる謎とされてきた。ただ、その生涯をつづる「西行物語絵巻」などには、「西行出家の図」として、泣き叫ぶ娘を縁側から蹴り落とす西行の姿があり、その強烈な印象は、それほど出家の意志が堅かったものと解釈されている。
出家後の西行は、嵯峨野や吉野など各地に庵を結び、また、全国を旅して名歌を残した。花を愛し、悟りを求める漂泊は、日本中に「西行伝説」を残し、俳聖松尾芭蕉は「奥の細道」でその足跡を訪ねたのである。近年も、井上靖、辻邦生、瀬戸内寂聴、白洲正子、吉本隆明といった日本を代表する作家、論客が西行をテーマとしている。
鎌倉期最高の歌集「新古今和歌集」に最多の94首も選ばれた大歌人だが、「ねがはくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」は最もよく知られているところ。もちろん陰暦のことだから「如月(2月)の望月(15日)」とは現在の3月中~下旬。そのころの桜の花の下での死というのは、歌人として最高のイメージかもしれないし、あるいは僧として、花咲く沙羅双樹の下で2月15日に入寂した釈迦のことを思ったのかもしれない。
そして、釈迦に遅れること1日、西行はその願いのとおり、2月(如月)の16日にこの世を去って、最後の伝説を生んだ。ただ、俳句などでは、望月のころ、という西行の願いをくんで「2月15日」を「西行忌」としている。