3月2日の夜、福井県小浜(おばま)市の神宮寺(じんぐうじ)において、「お水送り」の儀式が粛々と執り行われる。この日、ここから送られた「お香水(こうずい)」が、3月12日の奈良東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)における、あの「お水取り」になる、その、文字通りの「お水送り」なのである。
若狭小浜は、古くから日本海に臨む北陸の良港として知られたところ。中国大陸との交流の歴史も長く、ゆえに仏教が伝わるのも奈良と同様に早かったという。そして、東大寺開基の良弁(ろうべん)僧正が小浜の出身とされることなど、奈良と小浜は昔からゆかりがあり、その関係の深さをこの「お水送り」と「お水取り」という二つの伝統行事が伝えてくれている。また、小浜が「海のある奈良」と呼ばれるのも、うなずける話である。
それが終われば春が来る、と関西でいわれる東大寺二月堂の「お水取り」は、修二会の「お香水」汲(く)みのこと。そして汲む場所は「若狭井」と呼ばれる井戸。一方、その「若狭井」に向けて「お香水」を送る場所は、小浜の神宮寺に近い「若狭鵜(う)の瀬」。そこから地中ルートを経て10日後、二月堂の「若狭井」に「お香水」が届く、という。1200年前、天平の昔から連綿と続く、大切な行事である。
3月2日、小浜市神宮寺での「お水送り」は、諸行事の後の日没後の午後6時ごろから。神宮寺本堂回廊で、赤装束の僧が大松明(たいまつ)を振りかざす。大護摩(ごま)が焚(た)かれる。そして、山伏姿の行者、白覆面白装束の僧などを先頭に、大護摩から浄火を移した松明を掲げ、一般参加者も含め3000人の行列が動き始める。
現代においてはなんとも非日常的な光景。大行列は2km上流の遠敷川「鵜の瀬」を目指し夜道を行く。「鵜の瀬」に到着後、護摩が焚かれて「お水送り」行事となり、「送水文」が読まれ、ほら貝が鳴り響くなか、竹筒から「お香水」が遠敷川に注がれる。こうして「お香水」は奈良東大寺二月堂「若狭井」に送られる。
正倉院御物などが物語るように、奈良はシルクロードの終点であった。そのシルクロードの日本での入り口であったのが日本海側の小浜。そうして、小浜から奈良へと「ロード」が続いたという古代のロマンを感じさせてくれるのが、この「水」をめぐる二つの伝統行事である。
ちなみに、「お水送り」の舞台、遠敷川「若狭鵜の瀬」は、環境庁「名水百選」の一つに選定されている。