京都市上京区の寺之内通堀川に、「人形寺(にんぎょうでら)」と通称される尼寺がある。臨済宗単立の門跡尼寺(もんせきにじ)「宝鏡寺(ほうきょうじ)」である。
この寺には、幕末動乱時の天皇、孝明天皇遺愛の人形をはじめ、皇室関連の人形が多く残されている。普段は非公開ながら、そうした皇室ゆかりの人形を中心として春と秋の2回「人形展」を催して公開、とりわけ春のそれは雛(ひな)人形を主体としたものとなって、女性を中心に全国から多くの参拝者を集めている。そして、この「人形展」が始まった昭和30年代前半のころから一般に「人形寺」と呼ばれるようにもなった。
ちなみに2009年春の人形展(3月1日~4月3日)は「御所の春」と銘うたれて、宮様ゆかりの雛をはじめとした多くの雛人形や雛道具が展観される。とくに初日の3月1日、午前11時から11時30分までの間、雛祭のイベントとして、雅楽の演奏と島原の太夫による舞いが奉納される。
この宝鏡寺に、なぜ多くの皇室ゆかりの人形が所蔵されているのか。それは、ここが「門跡尼寺」だからである。「門跡」とは、天皇の子や貴族などが住する特定の寺で、平安前期の宇多天皇が出家して仁和寺に入ったのを始まりとする。そして、室町時代にはその寺の格式を示す語となった。寺に入るのが天皇の女子、つまり皇女ならば、門跡尼寺となる。
宝鏡寺の場合は、室町初期に光厳天皇の皇女が開山した門跡尼寺で、所在の町名から百々御所(どどのごしょ)という御所号も持つ。そして、江戸時代初期に後水尾天皇の皇女が入寺してから後は、代々の住持を皇女が務めてきた。また、幕末のころ、徳川14代将軍家茂(いえもち)に降嫁し、公武合体のシンボルとなった孝明天皇の妹皇女和宮(かずのみや)も、この寺ゆかりの女性である。
秋には人形供養祭があり、雛人形や西洋人形なども全国から納められて、後日、お火上げされる。
境内には、武者小路実篤の歌「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」が刻まれた「人形塚」がある。