2010年で、奈良の都「平城京」に遷都(せんと)して1300年になるという。つまり、元明天皇がそれまでの藤原京から平城京に都を移したのが、710年3月10日のこと。そこから数えての1300年。「せんとくん」「まんとくん」「なーむくん」などというキャラクターが、10年に行われる「平城遷都1300年祭」の話題を盛り上げている。
平城京は奈良盆地の北東部に位置し、京(みやこ)の範囲は現在の奈良市から大和郡山市にまで及んだ。左京、右京と呼ばれる主要部の東西は約4.3km、南北は約4.8km。街は縦横に走る大路によって碁盤目状に区切られ、北端中央に平城宮。東大寺や興福寺は、平城京の北東の郊外に建てられた大寺院だった。
「青丹(あおに)よし奈良の都は咲く花の匂うがごとくいま盛りなり」と万葉集に詠(よ)まれた奈良平城京。「青丹よし」は奈良にかかる枕詞だが、「青丹」つまり鮮やかな緑青や朱色に彩られたこの新しい首都は、光が満ち、華やかさがあふれていたのだろう。また、シルクロードの最終地点は奈良、といわれ、正倉院には朝鮮、中国はいうに及ばず、遠く西域、ペルシャからの宝物が納められているが、そのことが物語るように、平城京は日本の首都であるだけでなく、その時代の国際都市だったのである。
さて、平城遷都に至るまでの大和、奈良の歴史を少し振り返ると、まず大和王権の6世紀中ごろに仏教が渡来し、そして7世紀の中ごろ、中大兄皇子と藤原鎌足の「大化の改新」で地方行政権の朝廷集中、税制の統一などがはかられた。その鎌足の息子、不比等(ふひと)が、天皇中心の国づくりを進めるために、中国を範に律令制を固め、都を飛鳥から藤原京へ移したのが694年。続いて大宝律令が完成したのが701年。こうして中央集権国家体制が整っていった。
日本で初めての銅銭「和銅開珎」が造られたのが708年。経済体制も整備され、不比等はこのころすでに唐の都長安をモデルにした壮大な都市計画「平城京プロジェクト」を推し進めていたようだ。
およそ5年の歳月をかけて完成した平城京。元明天皇は710年3月10日に、大和三山に囲まれた藤原京から平城京に遷都する。その街は、日本で初めて登場した大規模な都市であった。