3月18日は、人丸忌、そして小町忌とされている。人丸とは、万葉の大歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)のこと。そして小町とは古今和歌集の六歌仙の一人小野小町(おののこまち)のこと。絶世の美女といわれ、「世界三大美女」としてクレオパトラ、楊貴妃と並び称される、かの伝説的女流歌人のことである。
日本古典文学の中の大スター2人の忌日、つまり亡くなった日、命日が同じ、といわれると、びっくりする向きも多いが、実はこのことは確定的な事実ではない。だいたい、柿本人麻呂も小野小町も実在ながら「生没年不詳」とされている人物なのだから、命日を特定できるわけがない。したがって、なぜ、2人が同じ日に亡くなったことになり、それがなぜ3月18日なのかもわからない。
ただ、近世初頭に出版された歳時記などに、この「人丸忌」と「小町忌」が3月18日として書かれ始め、そのころから、この2人の忌日が同じだということはトピックであったようだ。
柿本人麻呂は、山部赤人とともに歌聖とあがめられ、全国各地の柿本神社の祭神である。たとえば明石の柿本神社(人丸神社)では4月の第2日曜日が春季例祭だが、これは明治時代初期に陽暦になったときの対応で、陰暦3月18日をひと月遅れにしたのだろう。また没地である石見・益田の柿本神社では4月15日が春季例祭。これも陰暦をひと月遅れにしたものだろうが、こちらは、陰暦3月15日が人丸忌、という「設定」になる。このあたり、西行忌を如月(2月)の15日(満月の日)としたように、この歌聖の忌も弥生(3月)の15日(満月の日)がよかろう、という感覚が働いたのではないか。
小野小町については、ゆかりの奈良・帯解寺(おびとけでら)で、4月24日に「小野小町忌」が催されている。
実は、人丸、小町に比べると渋いが、「和泉式部日記」で知られる平安時代中期の歌人和泉式部(いずみしきぶ)も3月18日が忌日、とされている。この人も生没年不詳。
いずれにしても、近世初期以降、柿本人麻呂、小野小町、和泉式部の忌日が同じ3月18日(陰暦)という認識が定着し、晩春の季語、つまり季節感のキーワードとして定着した。もともと、この日は観音様の縁日であり、関西では皆でご馳走を食べる「春事(はるごと)」の日。そうした民俗的に大事な日に、生没年不詳の有名な歌人の忌日をまとめたとも考えられる。