3月30日から4月5日にかけて、奈良・西の京の名刹(めいさつ)薬師寺で「花会式(はなえしき)」が行われる。
薬師寺は、現在「世界文化遺産」に指定されている古都奈良の社寺の一つであり、世界各国から参詣者を集めているが、もともと白鳳時代の680年、天武天皇が、皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して建立を発願された、我が国屈指の古刹である。
都の呼び方としては、京都が北都で、奈良は南都。その南都七大寺(薬師寺のほか、東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、法隆寺)のなかの法相宗大本山。東塔と西塔が並び立つ美しい風景もよく知られている。また、現代においても橋本凝胤、高田好胤など名僧を輩出している。
その薬師寺の数多い行事のなかでも、最大の年間行事と位置づけられているのが「花会式」。正式には薬師寺の「修二会(しゅにえ)」と呼ばれる。奈良ではいろいろな寺で「修二会」が行われ、有名な「お水取り」も東大寺の修二会の行事の一つ。寺院での国家繁栄・五穀豊穣祈願法要で正月に行われるのが「修正会(しゅしょうえ)」で、2月に行われるのが「修二会」。そして、東大寺の修二会が二月堂の若狭井(わかさい)の「お香水(こうずい)」をくむことから「お水取り」と俗称されるように、薬師寺の修二会は、本尊薬師如来(国宝)の前に10種の美しい造花を供えることから「花会式」と呼ばれるようになった。
もちろん「修二会」は陰暦2月の行事だったのだが、現在では東大寺の「お水取り」は3月1日から、薬師寺の「花会式」は3月30日からという日程。ともに「奈良に春を告げる行事」とされている。
「花会式(修二会)」は、もともと奈良時代から続けられてきた薬師悔過(けか)法要。嘉承2年(1107)に堀河天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に願い、無事快復。そして翌年、皇后が薬師如来に10種の造花を供えさせたのが現在の「花会式」の始まりといわれている。
この荘厳な法要は、夜間の作法も含め、南都声明、ほら貝、鐘、太鼓が堂内に響き渡る、厳粛かつ幻想的な雰囲気のなかで執り行われる。とりわけ、燈明だけの明かりで、真剣を持った呪師(しゅし)が邪気を祓うために内陣を疾走する姿は圧巻。また、最終日の「鬼追い式」は、鬼が松明(たいまつ)を振り回す豪快な行事である。