毎年4月の21日から29日までの9日間、京都市中京区の壬生寺(みぶでら)の「春の大念仏会」で、重要無形文化財指定の「壬生狂言」が行われる。
京都・壬生といえば幕末に新撰組の屯所が置かれたことでよく知られ、そのころの壬生寺の境内では新撰組の軍事教練が行われた。この壬生寺は、平安時代中期の正暦2年(991)に創建された律宗の古刹(こさつ)だが、約700年前の室町時代中期の円覚上人が、中興の祖として尊崇されている。当時、上人の教えを聞こうとする大衆は数十万人にも及び、そのことから「十万上人」とも呼ばれたという。
その円覚上人が正安2年(1300)に壬生寺において「大念仏会」という法会を行った。このとき上人は、聴衆に仏の教えをわかりやすく伝えるための方法として、身振り手振りによる、いわば無言劇を考案する。現代風に解釈すれば「パントマイム」であり、多くの聴衆がざわめくなか、マイクのない時代の「説法」としては、実にユニークかつ有効な方法だったのだろう。この「パントマイム」が、今に続く壬生狂言の始まりとされている。
壬生狂言の特徴は、狂言とはいうものの、能狂言とは違い、いっさいせりふなしで行われるところにある。すべての演者が仮面をつけ、鉦(かね)、太鼓、笛の囃子(はやし)に合わせて無言で演じていく。これは円覚上人のころから現在まで変わらない。仮面には室町時代のものもある。
そして、内容的に勧善懲悪、因果応報といった宗教的テーマを持っていることも創成期から今日まで変わりはない。ただ、近世以降、京都の庶民の娯楽としての性格も加わり、能や狂言、御伽草子(おとぎぞうし)などからの影響も見られるようになったという。そうして、現在上演されている曲目は「土蜘蛛」や「道成寺」「舟弁慶」など30にもなった。
演じるのは、地元の「壬生大念仏講」の人々で、80歳から小学生までの約40人。上演されるのは、この「春の大念仏会」のほか、秋の特別公演(10月の「体育の日」を含む連休)と、2月の節分の2日間。舞台となる「大念仏堂(狂言堂)」も、綱渡り芸用の「獣台(けものだい)」や鬼などが消える「飛び込み」などの独特の装置を備えていて、特異な建造物として国の重要文化財に指定されている。