山形県米沢市で毎年、ゴールデンウィークの4月29日から5月3日まで、「上杉まつり」が行われる。
米沢は山形県の南部、置賜(おきたま)といわれる地域の中核として栄えてきた町。とりわけ、戦国時代以降は、名門上杉家の影響下で歴史を刻んできた。この「上杉まつり」も藩祖・上杉謙信を祭神とする「上杉神社」と、米沢上杉藩初代上杉景勝、9代上杉鷹山、直江兼続などを合祀(ごうし)する「松岬神社」の春の大祭である。
川中島の戦いをはじめ、戦国時代に勇名をはせた「越後の龍」上杉謙信が亡くなったあと、養子の景勝が跡目を継ぐ。景勝は豊臣政権の五大老の一人となり、ルーツの越後から会津に移り120万石の領主となった。その景勝の右腕で、天下の名家老とうたわれたのが直江兼続。景勝は、直江兼続に米沢30万石を与えて厚遇した。
豊臣秀吉没後の天下の覇権を争った「関ヶ原の合戦」を石田方で戦い、徳川家康と敵対した景勝・兼続コンビは、敗軍の将となる。結果、大きく減封されて、上杉家の領地は米沢30万石のみとなった。これが上杉景勝を初代とする米沢上杉家の始まり。上杉鷹山は、困窮した藩の財政を立て直した名君とされる9代目の藩主である。
「上杉まつり」は、こうした上杉家と米沢の変遷を髣髴(ほうふつ)とさせてくれる祭事。まず開幕の4月29日は「米沢新調」「花笠音頭」での踊りのパレード。5月2日夜には呼び物の「武てい式」が行われる。
これは、上杉謙信が出陣の際に必ず行ったという儀式で、「先手の大将」柿崎和泉守はじめ上杉28将が集合。式に先立ち、甲冑軍団は上杉家廟所に参拝し、謙信の霊に出陣の報告をする。そして「かちどき」をあげたあと、「武てい式」となり、かがり火が燃え盛るなか、軍神勧請などが行われる。
ハイライトは5月3日の諸行事。まず午前中は絢爛(けんらん)豪華な神輿渡御(みこしとぎょ)と威風堂々の上杉軍団が市内を練り歩く「上杉行列」。このなかには「直江兼続公山車」や米沢の歴史にかかわる小野小町、佐藤継信・忠信兄弟、那須与一、雲井龍雄といった人物キャラクターによる「米沢時代行列」も含まれる。そして午後は「川中島合戦」。松川河川敷の「川中島合戦会場」で、あの戦国史上最大の死闘といわれる上杉謙信と武田信玄の激突が再現される。
こうして毎年、上杉家とのかかわりを確認することで、米沢の春は訪れるのである。